ガザに爆弾落とさなくても、ええじゃないか

僕も10日に東京で行われた「ガザに光を! 即時停戦を求めるピースパレード」に参加しました。いろんな想いがわいてまだうまく言葉にできないところもあるのですが、その時の感想を書かせていただきます。

行く前は、行ってどうなるのか、行って何を叫べばいいのかわからないまま、ただただこのままにはしたくない、何かしたい、何か声をあげたい、と想い参加しました。

最初に広河隆一さんの「パレスチナ1949NAKBA」を観て、なんともいえない悲しい気持ちになり、パレードの出発場所に行ったところ、自分と同じようになんともいえない悲しい気持ちを持ち、でも何かせずにはいられない、という人たちが1000人くらい集っていました。みんなの悲しみが痛々しいくらい伝わってきました。どこにも救いを見いだせない、でもじっとしていられない。

僕は去年の9月に東京でポジティブでピースフルなピースパレードとして「ええじゃないか」walkをしました。それは、
「憲法9条変えなくてもええじゃないか
 平和をつくればええじゃないか
 六ヶ所村に再処理施設つくらなくてもええじゃないか
 自然エネルギーを使えばええじゃないか
 高尾にトンネル掘らなくてもええじゃないか
 海と山があればそれでええじゃないか」
などと言って街を練り歩くパレードです。(興味のある方は朝日新聞にそのことが載りましたのでお読みください)

1/10にもこの時パレードに参加したメンバーが何人も参加していました。でもあまりにも気分が違いすぎます。これまでの「ええじゃないか」は明るく楽しく、街ゆく人みんなハッピーになるようなパレードです。

そんなパレードを、こんな時にやっていいのか。こんな大変のことが起きているのに「ええじゃないか」なんて叫んでいいのか。そして何よりこの悲しい気分のままで「ええじゃないか」と叫ぶなんてことが自分にできるのか。
そんなもんもんとした気分のままパレードを歩き出しました。最初やはり何も叫ぶことができず、また叫ぶべき言葉も持たず、ただ黙々と歩いていました。

僕のまわりには、おそらく自分と同じ想いであろう、何も言うべき言葉をもたない人たちがたくさんいました。今まで何度かパレードに参加しましたがこんなに静かなパレードははじめてでした。

でも歩いているうちに自分の中で、こんな時だからこそ、「YES」と叫びたい、「ええじゃないか」と叫びたいという想いがこみあげてきました。
僕は「ガザに爆弾落とさなくても」と叫びました。そしたらそれを待っていたかのように回りにいた友人たちが「ええじゃないか、ええじゃないか」と叫びました。

「ガザの人たちがこれ以上犠牲にならなくても、ええじゃないか、ええじゃないか」、「話し合いをすれば、ええじゃないか、ええじゃないか」、「一緒に平和をつくりだせば、ええじゃないか、ええじゃないか」、「みんなが笑って暮らせたら、ええじゃないか、ええじゃないか」、「みんなが好きなことをして暮らせば、ええじゃないか、ええじゃないか」、「みんなが仲良く暮らせば、ええじゃないか、ええじゃないか」、「命を大切にすれば、ええじゃないか、ええじゃないか」

叫び出したらとまりませんでした。想いがあふれて次から次と言葉が出てきます。みんなも「もっと言って」というように僕を見てうなずいています。
「平和な世界を想像すれば、ええじゃないか、ええじゃないか」
「そしてそれをつくりだせば、ええじゃないか、ええじゃないか」
「平和な世界が、ええじゃないか、ええじゃないか」
「愛ある世界が、ええじゃないか、ええじゃないか」
「みんなが共に暮らせる世界が、ええじゃないか、ええじゃないか」
「月がきれいで、ええじゃないか、ええじゃないか」

交差点の中心で「ええじゃないか」と叫ぶ。悲しみのただ中で「ええじゃないか」と叫ぶ。それはあの時の僕たちにとって小さいけれどとっても大切な希望でした。

僕らはみんな心を持っています。その心は時に憎しみを抱いたり、いらだちを感じたりもしますが、その心によってとっても優しい気持ちになったり、今回のように命のために何かしたい、命の犠牲を見過ごせない、という想いになったりもします。

僕は今回パレードに参加して、それによってどういう行動を起こすかの違いはあってもほんとにたくさんの人が命を大切にしたいという心、命がないがしろにされるとそれに対して本人の意志とは関わらず反応してしまっていてもたってもいられなくなる心を持っているということを実感しました。その心はすべてつながっていて全体としてひとつの大きな心なんだと思います。

僕らは決して一人ではない。そのことをしっかりと感じながら、その心を大切にして、その心に従って生きていきたいと思っています。

ふじいもん