親愛なるみなさんへ:世話人・中村&辻より

親愛なる皆さん、

この困難な状況の中で心優しい皆さんの気持ちにふれることができるだけでも、ありがたいことだと思っています。

そんな皆さんに、ひとつ提案があります。

すでにナマケモノ倶楽部の内外に、すでに関西以西に移動した人たち、しつつある人たち、移動を考えている人たちがいます。特に妊娠中や幼子をもつ女性たちの中に、移動を希望しながらも、行く先がないという人がいると思います。あるいは、行く先がないので、そもそも移動という可能性そのものを発想できない人もいるでしょう。

そこでまず、これからの移動を希望する人たちを受け入れることができるという関西以西の人たちに手をあげていただきたいのです。その際、原発をめぐる危機的な事態について、それをどう把握し、今後の見通しをどう考えるか、についてはいろいろな意見がありうると思いますが、それはとりあえず横に置いて、移動の希望をそのまま受けいれたいと思います。

かつて、六ヶ所の再処理工場稼働に反対するStop Rokkashoのキャンペーンで、「逃げろ、どこへ?」と題するビデオをつくったのを覚えている方もいるでしょう。ぼくたちには、今まさに、「逃げる勇気」「逃げてもらう勇気」が問われているような気がします。

特に、親戚や友人の中に幼い子どもがいる場合は、その人たちに避難するという選択肢があることを示してあげてほしいのです。(細胞分裂が活発な低年齢ほど放射能の影響が大きい。胎児や幼児と高齢者では数十倍〜100倍以上の差がある)
そのためには、まず、行く先がある、引き受けてくれる場所が、人がいるということを示す必要があります。

こうして書いている最中にも、心の中に怒りや焦燥感や悲しみなど、いろんな気持が湧き上がってきます。自然災害を前にした文明の脆さを思います。改めて、原発というものとその背後にあるシステムの暴力的な本質を思います。また原発に象徴されるような、人間の思い上がりや都市の傲慢を思います。巨大な権力を大企業や政府官僚やマスコミや専門家に預けてしまった空虚な民主主義を思います。

そんな時には、サティシュ・クマールの言葉を思い出しましょう。「個人ではなくシステム。これに気づくこと。それが求められているのです。世間にただ従う代わりに、このシステムがいかにしてできたかを理解し、自分たちも、多かれ少なかれ、その一部であることを、自覚するのです。その上で、まず自分自身の暮らしを変え、システムから抜け出すよう、人々にも働きかけましょう。」

もう10年も前に、ナマケモノ倶楽部が中心になって、東京で「脱原発の文化へ」という催しをしたことがありました。政治から引退してすでに北海道に帰っていたアイヌの指導者萱野茂さんも体調不良に関わらず上京し、「原発は天に唾すること、必ずその唾は自分に降りかかってくる」という痛切なメッセージを遺してくれました。

さて、その時の集まりのタイトルにこめたぼくたちの気持を思い出してください。脱原発は単なる技術的な問題でもなく、単なる危険性の問題でもなく、単なる経済問題でもなく、それは文化の問題であるということです。ぼくたちの価値観の問題であり、世界観の問題であり、倫理の問題だということです。

それは、ナマケモノ倶楽部をはじめ、スロームーブメントが常に、自らを環境=文化運動と呼んできたことの意味でもあります。

しなければならないこと、できるならしたいことなど、たくさんあって、その優先順位を決めるのはとても難しい。情報が少なすぎるのも、多すぎるのも、同じくらい大変なことです。その中で、刻々どう考え、どう行動するのか、まさにひとりひとりが問われているのだと思います。この試練をどう生きるか? 

それをくぐり抜けるプロセスそのものが、新しい文化を、価値観を、世界観を創ってゆくプロセスであり、それを生きるひとりひとりがその新しい文化の担い手へと育ってゆくプロセスだ、というのがひとつの答えだと思います。脱原発をはじめ、いろいろな文化創造(カルチャー・クリエイティブ)運動をやってきたぼくたちだからこそできる、大切なことがきっとあるはずです。

忘れないでください。皆さんひとりひとりがハチドリのクリキンディです。

上に提案した自主避難運動、どうぞよろしくお願いします。

まず、受け入れてもいいよという方は、このMLまたは以下まで連絡下さい。
info@windfarm.co.jp