第1回『未来も捨てる使い捨て〜暮らしの中からエコ追求を』(4/2掲載)

コピー用紙を買いに行って驚いた。「古紙100%」がない。「昨今の古紙調達を取り巻く環境変化に伴い」とのことである。大手製紙会社の全製品に虚偽表示が露呈したからだ。「地球に優しい」エコマークで企業の販売戦略にだまされたのだから、やりきれない。
「使い捨て時代を考える会」が発足したのは1973年。最初の活動は手作りみそと古紙回収だった。手作りみそは食の安全のためで35年間毎年続けている。他方、古紙回収はリサイクルのむなしさを思い知るだけの三年間だった。
当時、「使い捨ては美徳」「消費者は王様」とおだてられ、消費の拡大が高度成長を引っ張っていた。大量生産と大量消費は産業公害をもたらした。食品添加物や合成洗剤などの不安だけでなく、「ごみ戦争への混乱の兆しも見え始めていた。
非再生非循環の資源に依存する工業社会は環境問題を引き起こし、破たんを免れない。もの豊かな消費生活を無反省に生きる現実に注目し、時代を問い、生き方を変えようと私たちは考えた。「便利さに 未来も捨てる 使い捨て」という標語が今も私の名刺に刷り込まれている。
「古紙も捨ててしまえばただのごみ。集めて活かし、山を守ろう」といったチラシをまきながら、一軒一軒古紙を集めて回った。活動を始めた直後、トイレットペーパーパニックが起き、古紙回収への世間の目は激変した。しかしパニックがなぜ起きるのかという反省はなかった。汗をぬぐいつつ、集まる古紙の山にため息をついたものだ。リサイクルのむなしさである。
世界の森を守ることは極めて大切だ。しかし、それだけではむなしく、やりきれなくもなる。大所高所の理屈も大事だが、やはり足元の暮らしと現実からなのである。