第8回『消費者も田植え体験 農の現実に心寄せよう』(6/4掲載 京都新聞)

 強い太陽が青葉若葉に照りつける初夏である。素足に泥の感触も心地よい。今年もにぎやかに田植えを楽しんだ。
 私たちが水田を購入し、毎年のように米作りを消費者も体験する行事をするようになって、今年で三十年になる。
 かわいらしい小さな苗を縦横一直線になるようにていねいに植えるが、素人の悲しさか、思うようにはいかない。元気に育ってほしいと願いつつ、一株一株に心を込める。
 この体験は貴重である。いのちの糧、お米への共感を強めるからである。日本の食文化に米は欠かせない。日本の風土、自然環境に適した貴重な食糧である。天与のダムとして、梅雨の雨を受け、河川の治水に役立ち、地下水を育てる。そして、棚田は日本人の心の原風景である。
その米が、今ピンチである。低い米価に農民は泣いている。食の洋風化によって米離れが加速しているからである。輸入穀物に依存するパン食、肉食は大地から離れて、浮き草のように不安定なのだ。その上、農業後継者もなく、稲作農民の超高齢化で、水田の維持管理もままならぬ状況が拡がっている。「いつまでも あると思うな 親と米」だ。お米の危機は高度経済成長と共に加速したが、すべてがお金で動く世に永続はない。お金の切れ目は米だけでなく、穀物輸入も困難にするだろう。食糧の危機は遠くない。
 消費者も農の現実に心を寄せたい。そのために暑い夏を水田除草に汗を流すのだ。食卓のわがままが汗と共に拭い去られることだろう。