第17回『求む水田耕作者 10年先考える大胆な発想を』(8/27掲載 京都新聞)

夏がくると水田には毎年水がはられる。稲の苗が植えられ水が太陽に温められると、ミジンコ、オタマジャクシなど小さな生き物達が湧き出るかのように一斉に活動を始め、水田の水と土は静かに沸き返る。
 成長の邪魔になる草は除け、水の深すぎ浅すぎに注意を払い、成長のリズムに合わせて肥培管理をする。稲の顔色を窺いながらそれぞれの時期に合わせた作業が求められる。私たち百姓は作物の使用人となって働かされるような日々が収穫まで続く。作物中心に仕事をこなす慎ましやかな暮らしが、営営と農村で続いてきた。
 戦後の兼業化の流れの中で、残った僅かな専業農家の規模拡大と兼業農家の日曜百姓で農村と水田はかろうじて維持されて来た。しかし若い時期から体で覚えてきた昭和一桁世代は急速にリタイヤ、兼業農家も米価の余りの安さに経済的に維持しきれない。こんなところまで追い込まれているのが村と水田の現状だと思う。
 一昨年来、戦後最大の農政改革とのうたい文句で、現場の農家にも対策が打ち出されて来た。基本的農産物をも自由化する為の政策かと思える。
 そんな中で、一昨年私たちの会は「縁故米運動」を始めた。生産者と消費者がお互いの暮らしを守ろうとするなら、会の活動として真剣に取り組まねばならぬと思う。水田と米の生産システムを整え、水田耕作者を募集し、十年先に備える大胆な発想と実行が有っても良いのではないか。
 十年先、今の思いが取り越し苦労であれば嬉しい。