ジェファリー・ディーヴァー/Jeffery Deaver

ジェファリー・ディーヴァーの新書、二冊を
読みました。(以前『静寂の叫び』という本がよかったのを覚えている)

一冊目-「スリーピング・ドール」は、キャサリン・ダンス捜査官がヒロイン。
容疑者との距離間隔を測りながらの複雑な尋問のテクニックを駆使して、
相手の所作や表情から真実を読み取っていくわざ「キネシクス」。
早い話、ウソの証言を相手の反応(ストレス)のしぐさによって見破っていく
というその過程がスリリング。

そしてもう一冊。

「ウォッチメイカー」
殺人の犯人が、残虐な殺しのたびに掛け時計を残していくという
もの。プロットがくもの巣のように幾重にも張り巡らされて
マインドゲームの態をなす力作。

ちょっと辻褄をあわしたようなところもあり、おもいかも?

ジェームズ・エルロイのようなノアールのにおいが
感じられるのは、わたくしだけなのかな?
そこに興味を惹かれる。

謎解きの合間に、母と青年期の長男との微妙な言葉のやりとり。
そしてディーヴァーのちょっとした本音がもらされている。
そこがすきかも〜

ニューヨークの横丁-

チェルシィー街・ミート・マーケット・
バッテリーパーク・イーストビレッジ Between A&B。
NOHO・グリニッジ・ビレッジ

の描写も巧で、眼の前にそれぞれ特徴ある風景が
くっきりと浮かんでくる。以前に一回は訪れたことのある街角
が出てくると、記憶のなかの風景とつながって、一緒にたむろしている
ようで楽しいです。

-漠然と考えていたことがうまく言葉に表現されていて、読んでいて
自身の気持ちの整理がつきました-ここに抜き出してます。

”Before and after”
-記憶のなかの残像-

ある九月の朝を境に、街は永遠に変わってしまった。
二度の爆発、
たなびく煙の巨大な尻尾。
きれいに消えてしまったビル。

以前と同じでないということは、だれにも否定できないだろう。
ニューヨーカーの回復力、勇気、日常をとりもどそうという気概を
指摘することはできるし、それらはどれも上辺だけのものではない。

二つのタワーの残像は、華やかな百貨店のウインドウに映りこんだ
街の風景のようにいまもそびえているし、生きる者の世界から
去ってしまった人々の存在がそこそこに感じられる。

それに、言うまでもなく、最大の疑問がいつも近くに浮かんでいる。
「次は何が起こるのか」

”Before and after”
一瞬の出来事が、人を永遠に変えることがある。
それでも彼は信じている。そういった出来事を
過度に偶像化すると、その出来事にいよいよ力を与えることになる。
悪を勝たせることにつながる。アメリカ中にはびこる”ニューヨークを応援しよう”
ムードの前に理屈は無力だった。愛国心を示したつもりが、過度に広がって、
どこやらが崩れて、仰仰しい様子が露呈されてしまう。

”愛する者(もの)を失う”
完全に癒えるまでには、まだ時間がかかるだろう。
「癒える」というのは遺族カウンセラーが使った言葉だ。
だがその言葉は適切ではない。この悲しみが「癒える」日は
永遠に来ないからだ。最近になってそう悟った。
生々しい傷がかさぶたに覆われて傷跡に姿を変えたとしても
傷跡であることには、変わりがない。
時間とともに痛みは感じなくなっていくだろう。それでも
いったんついたあとは、二度と消えることはない。
(”ウォッチメイカー”より抜粋、リンカーン・ライムのつぶやき;池田真紀子 訳)

いま抱く気持ちを的確な言葉で表すことによって
本当の自分の心の様子を正しく捉えることが出来るかもしれない。
心の奥の気持ちとか、その場の空気とか、(音楽もそうだが)目に見えないもの
を、本質をとらえて正確に言葉で言い表すことはとても難しいことです。
言葉の選び方にセンスが必要です。