ご無沙汰していました。
RedogCafeひさびさに上げてみました。
すこし掘り下げたいことがありまして、それにかかりっきりになっていました。
てかっ、アコーステイック ・ピアノの演奏に新しい切り口が見えてきまして、
それをカタチにしようっと決めて、とりあえず今年春から10月いっぱいまでと
区切って,精進の道をひたすら辿っていたということです。
(1日5時間のノルマを自身に課して奮起したのですが、ストレスが半端じゃーないです。)
月が開けて、「あーッ秋になったなー」って、ひと心地ついて外に出かけた。
大阪湾のぶ厚い雲にサンドイッチされた火傷をしそうな夕日をながめていた。
サントリー美術館のウィーン世紀末コレクションは、売りになっていた
クリムトとエゴンシーレのコレクションがあまりにも品数薄で、
肝心のデカダンスは-咲き乱れるどころか−いずこに?といった
感じでしたよ。。。
クリムトのお父さんは、金細工の職人だったそうです。
細工のための装飾図案と純然たる油絵との合体とでも
いうのでしょうか〜広がりますね!
突然の加藤和彦氏(トノバンと呼ばれていた)の訃報に触れて、
ありえないと思いました。ここんとこちょっと動揺していますよ。
時代の半歩先にキッチリ落とし込んでいく抜群のバランス感覚で
オンリーの音楽をひたすらあてがってきた作業を
椿の花びらがどさっといきなり落下
するがごとく,とだえてしまうことになるなんて。
日ごろの何にとらわれるということのないリラックスした表情にそぐわない
エンディング、意外に感じました。
わたくしは、青年の頃(23才)、縁あって育った大阪を離れて麻布近辺で彼と
出会いました。「墨絵の国へ」という曲のコード付けを一緒にしたのを記憶しています。
そして2年後には、憧れの地イギリス、サディスティック・ミカ・バンドの一員として
ロンドンにてコンサートという晴れの舞台で演奏するという信じられない好機
を得て、ご一緒しました。
いろいろお世話になりました。
それからは、光り輝く出口に向かって有頂天に非想非天の気分で
ひたすら神宮の銀杏並木道を前へ前へと闊歩してる、そんな心意気で時をかさねて
きました。
選ばれたものという使命感と危機感を常にもって、
自分を信じ、目指そうとする独自の音楽を
真摯に追い求めていく、
その取り組み方のあり方〈姿勢〉を彼から無言で示唆されていたように感じていました。
いまおもうに失うには大きすぎる存在の方だったということです。
考えをめぐらしてみると、ご自分の
「ブランドの名前 と スタイルが残る、それで十分なんだ」
ということなのかと推測されます。
正岡子規のように、西行のようにでは駄目なのかなとふと思いました。
ロバート・ワイアットのようにカンタベリィーでなんてね∮
大阪の東にある上町台地、夕陽丘の四天王寺さんの南鐘堂
では、ろうそくと線香セットの値段程度を払えば、
鐘をつくことができるんです。
そうすると、なんかスッと晴れやかになれる気がします。
今回は、3回ほど。
たたく強さによってうねりの周波数帯が
異なるのがおもしろい(%音符1%)
突いた鐘の音分子は、
周りに広がっていって、やがて溶けてなくなった。
──────→四天王寺南鐘堂
今井裕/大阪
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あと、偲ぶ会が12月10日午後六時半より、東京・芝公園のザ・プリンスパークタワー東京で
開かれることが決まったそうです。