つむじ風(廻風)のネーミングについて
おたずねがありましたので、説明します。
堅苦しくてすいません。

空海の著したもので 「三教指帰」 _さんごうしいき_ という題の書物があります。
その序文の終わりに

『名 曰 三 教 指 帰 
唯 写 憤 懣 之 逸 気

とあります。

(訳):
この本を名づけて三教指帰という、本書は、
ただ心のなかにたまっているやむにやまれぬ気持ちを
ぶちまけただけのものである。

空海:讃岐国(香川県善通寺市)で生まれ、一家の期待を担って15歳で、
長岡京に上り、さらに官吏になるために、平城京。大学の明経科に入って、
中国の漢文-論語、五経(易経、書経、詩経、礼記、春秋)-の
学習に励むのですが、まもなく変化が生じ
仏道を志して山林にわけ入って自己の啓発に努めました。

さて本文はというと、儒教・道教・仏教を比較
してその優劣を論ずる内容のもので、戯曲の
対話形式で書かれています。

親戚、知人の期待に反してでも仏道の修行に専心した空海が
自らの出家の動機を表明したものです。

儒教の立場、道教の立場、仏教のの立場と
それぞれの立場からの教えの披露へと続いていきます。(仏教を優れたものとした)

そして終わりに十韻二十句の詩が作られて締めとなります。
その中の四つの句を抜粋してみますと

『春 花 枝 下 落
秋 露 葉 前 沈
逝 水 不 能 住
廻 風 幾 吐 音

(訳):
春の花は枝の下に落ち、
秋の露は葉の前に沈み、
逝く水の流れは暫くも とど(止)まりえず、
廻風(つむじ風)の音 たつること幾ばくのときもなし。
(福永光司訳-中公クラシックス版-からの引用)

つむじ風(廻風)のネーミングの趣旨は、次のようになると思われます。

自分の内面から湧き上がる

『憤 懣 之 逸 気』-ふんまんのいっき-を音楽を通して表現し、

心を悉くする その勢いは

『つむじ風(廻 風』 のように舞い上がり

いろんなふうに動きながら、吹き荒れている。

そう言った発止たる心意気を持ちたいよねぇということです。

「暮れぬれば、心浮きたちて、いかで出でなんと思ほすに」源氏物語・真木柱

Painting by Aino.T→
つむじ風というテーマで絵をお願いしたらいい感じで上がってきました。
過去の記憶の残像が似通っているのかもと思いました☆

自分で決めた道を、専心してあきることなく(これがむづかしい〜まぁ腹決めて
じっくり取り組んでみるってことですかね?!)
時を重ねていくとやがて、望んでいた高みにたどり着いた自分に
遭遇することになるでしょう。

そこでどんな風に感じるのか?そしてどういった完成形なのか?
わくわくします〜

だれかが言っていました。(精進の道をたどること)
苦しくて〜 楽しくて〜 苦しくて〜 くるしくてェ〜