Cormac McCarthy(コーマック マッカーシー)の描く世界は、
埃っぽい空気に包まれて息苦しくかんじるほどだ。
「ブラッド メリディアン」。とてもユニークな性格を持っていて、いくつかの
著書からの理念を下敷きにして、その上でピカレスクが展開されている。
(なのでやや雑然と羅列されているように感ずる)
たとえば、
コンラッドの「heart of darkness」[_闇の奥]_から闇のもつ不気味さを。
悪党集団の頭皮刈り隊の蛮行については、チャンバレンという人の
「わが告白」に著されているグラントン団(1840年代)の
史実に基づいて、物語が引き廻されている。
__その並列につながる雑然のなかから
14の年で家出をし頭皮刈り隊の一員にとなり果てしなくさすらう人間(The Kid)
のポッつんとした存在と
北メキシコと南西部アメリカの果てしなく広がって行く自然界との
係わりと圧倒的な差のある容量の対比がおもしろいと思った。
自然の描写が無茶苦茶いい!
ほかに誰一人いない道を騾馬で行く日々*
松林の広がる地方に出ると前方の果てしない窪地の向こうに
夕陽が沈んで暗闇が雷鳴のように降り冷たい風が草の葉を
きしめかせる。
夜の空に夥しい星が散って黒い部分がほとんどないほどで
星が一晩じゅう鋭い弧を描いて降り注ぐが数は一向に減らなかった。
__また、荒野に佇んでこのように語りかけてくる〜
人は自らの運命を捜し求める。
意志がなければ無だ。
自分の運命を知った者がそれとは反対の道を選んだとしても
結局は同じ指定の時間に同じ清算をすることになる。
というのも各自の運命はその者が住んでいる世界と同じだけの
大きさ(ディメンション)を持っていてそのなかにすべての可能性を含んでいるからだ。
多くの人間が破滅した砂漠は広大で受け入れるには大きな心が
必要だがしかし砂漠は結局のところ空っぽである。
それは石のように閉ざしていて硬くて不毛だ。
__さらに、こう語っている〜
子ども時代を振り返ると家族がみんな出かけて一人で
遊ぶしかないという寂しい思い出が誰にでもあるだろう。
さあ眼をそらすんじゃない。
これは謎めいた話ではないんだ。
他の人間はいざ知らずお前はこの寂しさや絶望感と無縁ではないはずだ。
我々はそれと戦っているんじゃないのか。
__そしてこのように続く〜
すべての人間はほかの人間の中に宿るしその宿られた人間も
ほかの人間のなかに宿るという具合に存在と証言の無限の連鎖ができて
それが世界の果てまで続くんだ。
__最後にこう導く〜
__人間は他人と連帯(UNION)することで自己の存在領域をはるかに超えた
より強力な有機形態になることが出来る。
いやそうするしか
___この人と評価できる他人のなかの自分のかけらと調合することでしか___
巨大な自然界のエネルギーに正対し立ち向かっていくその姿勢しかありえない
ほかに何の手立ても思いつかない。
自らのすべてを捧げた者、恐怖を体験しその体験が自分の心の
最も深いところに語りかけてくると知った者だけが、愉しくやるという理由で
輪になって手をつなぎ踊ることが出来るんだ。
__儀式__ダンス__と言うレベルに高められ精製された精神性に
人間の知力の煌きを眼にすることが出来る。
この満天の星群と伴って。
*太字文_本文からの引用
__RedogCafeによる付加文