百樹屋さんの奮闘物語!

百樹屋の由紀子さんからメールが来ました。
三陸との交流があることはとても嬉しいことです。アップし忘れて
いたこれが 百樹屋さんの奮闘物語です。

1985年(昭和60年)から大船渡港近くで食事処をされていて
いろんな業種の人でにぎわっていたそうです。
震災に遭遇して、高台の実家へ避難して戻ったのは3〜4日後
だった。そこには「百樹屋」と書かれた〝のぼり〟守り神の
〝布袋様〟以外は何もなかった。
日経電子版より→

三陸鉄道 盛駅は、バスで15分、内陸部に入ったところ。
その辺りに住むカメラ屋さんの同級生とようやく連絡がとれ
惨状を話すと、倉庫代わりにしている別棟があるのでそちらを
使えばいいじゃないといわれたそうです。そうですかと。

早速状況チェックに行った、内は膝の辺りまで泥で埋まっていた
そうです。撤去するにも道具が無い。
段ボールを折り曲げて不自由覚悟でやっていたらやや間があって
どこだったか、そちらからホースが送られてきたそうです。
知り合いの割烹の板前さんから「うちは、当分だめだからコレを→
使ってくれ」ということで思いを託されて持ち込まれたモノ。
「これみてください」って由紀子さんが指す先は、無垢のカウンター一枚板で、
すべてがガレキ化してしまったなかで、全くの無傷で確保されたものだった。
出会った“奇跡の絆”に、これはもう一度やるしかないのかなと閃いたそうです。

やがていろんなかたちのテーブルといすのセットが、友人知人から
使ってくれというメッセージ付きで贈られてきた。鍋皿もろもろも。
(正直、早く再開してもらって仲間で酒を酌み交わしつつゆっくりと
肩の荷を降ろす時間を持ちたいという人にはあまり言えないような
切ない思いもあったのではないかとおもんぱかる)
女将
「資材入手困難な時期、とても張り切ることができました!」

2011年6月10日、店の再開にこぎ着けた。震災後わずか3カ月で
店と食材の確保に成功したのである

一番の人気メニュー。カレー南蛮。だが、実は開業当初から
提供していたわけではない。初めは「まかない」として作られたものだった。
それを常連客に出したところ評判になり、そのままメニュー化した。
「私の母が家族のために作ったのが始まりです。」

カレー南蛮の原型を作った、由紀子さんの母親も店で元気に働く。→

店主である今野由紀子さんに相対していると、穏やかな気分が伝わってくる。
とても仲の良さそうな夫婦の元気な笑顔に接していると、今までに降りかかる
さまざまな困難を打ち払ってきた毅然とした小気味良さを感じました。
大船渡は、豪快な気質に溢れたところなんでしょうね。
女将
「手をつなぎ、輪になって、一緒ににっこり笑えたらきっと元気が出てきそうですね。」

最後にいただいたメールを紹介します。また会いに行きます!

>ご無沙汰してます!お元気ですか? こちら 大船渡 今日は 雪。
>まだ 寒くて ビックリします。 もうじき 4月に 約束通り 列車が
>走ります。去年は 嬉しかったですね。 今年も 会えたら 楽しい
>ですね。ぜひ また 来てくださいね♪
百樹屋 由紀子 (左_ご主人の今野 和明さんと)→

百樹屋: 岩手県大船渡市盛町内ノ目2-14 Tel:0192-26-5123
11:30〜14:00/17:00〜21:00