今年は「日曜教室」にとりくんでいます。

休日に絵を描いたり、手芸をしたりして障害者が楽しい時間を過ごす。。。

そんなイメージですが、本当に求めている事業目的は『障害者のモノづくり=仕事(労働) 』の試行です。

大胆でしょうか?

今年度この事業をやってみるきっかけは間違いなくそれで、レクレーション的な要素はそこに入っていくためのきっかけだと考えているのです。

モノづくりって楽しくなければ苦痛でしょ?

楽しいっていう気持ちがあってできる活動、それがモノづくりだと思ってます。

そしてそれが将来的にあとからゆっくりが「障害者の労働」に取り組むときのキーワードにしていきたいと考えてます。

そんなことを思いながら半年が過ぎましたが。

実際の日曜教室を見ているといろいろ思うこともあります。

感動した思いはいろんなところで記事にしているのでここでは別の側面から。

日曜教室の科目はどれもモノづくりということになりますが、大きく分けるとふたつのカテゴリーがあるなと感じました。

モノの完成品(サンプル)があるものとないもの。

わかりやすく言えば「工作」などの作業は、一定の完成サンプル(ゴール)があってそこにむかって作り手は四苦八苦していきます。

その工程が複雑であるほどボランティア(支援者)の手が多く関わないといけない場面が多々ありました。

一方で「絵画」については、白い画用紙の上に自分が思うもの、書きたいものを自由に書いて完成品をつくります。

これについてボランティアは作品ではなく、作品をつくるための準備や段取りを助ける形になります。

ゴールがあるものとないもの、表現が適切でないかもしれませんがそういうことです。

もちろん、ゴールがあっても実際は誰もが同じモノを作るわけでなく、できあがりを比べてみるとちょっとずつ違っていて、人それぞれの作品にはなっています。

それでも完成品を目指して作った作品と完成品がなく自由気ままに作った作品で「どちらが個性的ですか?」と質問されれば自由に作った作品の方がそうだと感じるだろうと思います。

ただよくよく考えてみると、工作も絵画も結局はいずれも習熟していくことで作り手の技術やイメージが高まり、自由で個性的なモノづくりの作業となるんだろうなぁと思います。

ここで言う”違い”は単にモノづくりの導入のところでのとっかかりやすさの違いかもしれません。

障害者の授産施設でも当事者の個性や自己主張を表現できる製品づくりということを大事にしているところがあります。

その中でもこれから主流になるであろうものは、障害者がつくった製品ではなく、障害者がつくったデザインを盛り込んだ製品ではないかと個人的には考えています。

「製品」にはせず、あくまで「作品」として利用する。これがいいかも。。

あわづ