*私は結婚して東京に暮らしたけれども子ども達に
ピアノを教える以外に仕事をしたことはない
それどころか自分のピアノの練習に充分時間がほしい
暇があったら本が読みたいと家事のやりくり以外に
自分のために使う時間をもっともっと欲しいと思っていたのだ
それが林郁の「満州、その幻の国ゆえに」を開き
犬養道子の「人間の大地」を手にし
ドナルド・カブァイエの「日本人の音楽教育」を読んでしまったら・・・
私はそれまで何十年固執し続けていた考えから
自分を解放することができた
“自分のために生きる人生”なんてもう何の色もない
これからはそんな生き方はしたくない
どうしても外へ出て何かしたくてたまらなくなった
ほんの2,3ヶ月前まで自分が教師になるなどと
夢にも思わなかったのに
*「試験のためにだけ覚えて後は忘れてしまうような勉強は
無駄だと思わない?
勉強は一生するものだと思うの
何かを知りたいと思ったら本を読んだり
辞書を引いたりして調べればいいと思うの
そして自分が求める力が強ければそれは自然に頭に入るわよ
覚えようとしなくたって自分のものになってゆくと思うのよ」と
私はみんなに話した
*一学期のある授業で私はKに質問した
すると彼女は素直に「わかりません」と答えた
私はそのことを皆の前で誉めた
わからないことを教わるのが勉強だから
わからないことがあったらKのようにどんどんそう言っていいと
*「僕は先生の音楽の授業でわかったのは、音楽は笛を吹いたり
歌を歌ったりだけではないということです
昔の作曲家、作詞家の人々が自分の一生の中で
どれだけ素晴らしい曲や詩を発表したか
形式の移り変わりなどの知識もなくてはいけないことだ
ということが最近とてもよくわかります」
*期末試験は授業中ノートをとってあればできる問題と
鑑賞した曲の感想を書かせ最後に
「良い音楽とはどういう音楽ですか」と書いてみた
これは生徒がこの質問にどう反応するか非常に興味深かったものだ
Oは「音楽に良い悪いはない」
Tは「自分の好みとしてロックが好きです」
Mは「先生はこういう音楽をどう感じますか。どんな音楽が先生は好きですか」
などと生徒達はそれぞれに“良い音楽”に対するイメージを持ち
それを言葉で表現してくれた
ただ一つここで私にひっかかるものがあった
それは前半の答えが良く書けているのにお終いの質問を
まったく白紙で出した何人かの生徒がいたことだった
そしてその生徒達は授業をまじめに受けている者に多かった
時間が足りなかったということもあるだろう
が、彼らの中に答えがわからないという者もいたであろうことが
私を考えさせた
何を書けばよいのか。何が正しい答えなのか
自由に書けるはずのところで自分の気持ちを素直に表現できない
あるいはひょっとして自分の“気持ち”がない?
私はここまで考えて背筋に冷っとするものを覚えた
そうして改めて何も書いてない答案の名前を調べると
クラスで学科の成績がトップクラスの生徒が何人もいることがわかった
*私は教師の1年生だった
この1年間未知の職場で生徒達、先生達を見て多くのことを考えた
その場その場でいろいろなことを感じてきたけれど
自分の考えが正しかったかどうかはわからない
T中の先生方一人ひとりはそれぞれ生徒達のことを思い
試行錯誤しながらやっていることだろう
何もわからない私がずいぶん生意気なこと感じたり言ったりしたかもしれない
そして実際たくさんの失敗をした
そのことを振り返ると苦しいものがどっと私の胸を突く
けれども許してもらおうと思う
私も人を許したい
結局許しあいながら人は生きていくのではないだろうか
失敗の中に埋もれたくはない
次に同じ失敗を繰り返さないための踏み台にしなければ・・・
<大根の花がきれいでした>