「こころ」はどこで壊れるか 精神医療の虚像と実像

滝川一廣著 洋泉社新書

とにかく「こころ」とは不自由なもので、
それが本質だと思うのですね。
そうすると折り合いの問題になります。
不自由なわが「こころ」と、
いかに折り合いながら付き合っていくか。
たとえば、不自由な「こころ」と折り合うかわりに
無理になんとかしようとすると、
オウムに行ってしまったりするわけでしょう。解脱したいとか。
折り合うとは、言いかえれば「悩む」ということですね。
折り合うとは100パーセント満足な状態ではありませんから。
ただ、その悩みを抱えている状態をも含めて、
不自由さと折り合いがついていればよいわけです。

しかも難しいことに、「こころ」は自分の内なる世界であるばかりでなく
外との関係の世界でありますから、
内だけで折り合ってもうまくいかないわけで
内外二重の折り合いが求められます。大変でしょう。
わたしたちはこういうやっかいなものを抱えて生きていますから、
精神失調はある頻度以上で必ず起きることなのです。

あなたは「異常」だから精神療法をしましょう、
カウンセリングをしましょうということは成立しません。
それは精神療法ではありませんね。
言い換えると、本人の側が悩むことからはじめて
精神療法やカウンセリングが始まるのです。
それはなんらかのかたちで
自分の「こころ」の不自由さに向き合うということですね。
ただし、そこでその悩みそのものを消し去りますよとか、
あなたを悩まない存在にしますよと言えば、これは宗教ですね。

<タンポポが咲き始めました>