「こころ」は誰が壊すのか その2

大勢の中の一人とは普通当たり前のことです
当たり前の感覚として身体に入っているようなことです
その感覚が最初の体験においてであれその後の彫琢の途上であれ
傷ついたり、根付かなかったりしますと
大勢の中の一人に過ぎない存在であるのは
凡庸だとか無価値だと言う感じに悩まされるのかも知れません

その裏返しで自分のかけがえのなさに特別な意味や価値を付与しないと
詰まりスペシャライズしないと自分を実感できないように感じてしまう
そうなりやすくなっているのでしょう

なぜ実感できないかと言えばたぶん「大勢の中の自分」という感覚が
根付いていないことと「かけがえのない自分」と言う感覚が
持てないことは一つの裏表なのでしょう

この二つは相反するものではなく一対のセットなのですから
一方がぐらつけば必ず他方もぐらつきます
普通はかけがえのない自分なんてそんなに確かめながら
生きているわけでもないです

むしろ何でこんなに自分はダメなんだろうとか
ほとんどいいところがないなと感じる方が多い
そのほうが当たり前でしょう
それが当たり前で、でもまあいいかと
そのようなダメな自分がかけがえのない自分ということですね、むしろ

<ライラックはよい香りがしますね>