「こころ」は誰が壊すのか その6

何か好ましくない、不幸なことが起こった場合
それが何かから受けた傷つき、
被害として捉えられる傾向が強まって
これは自己責任のきつい社会、
問題が個人化する社会のなかで
「エクスキューズ」が求められるという現象と
重なっているのでしょう
そういう必然の傾向でしょうけれども
何事も被害と受けとめるみたいな体験様式では
結局のところこころの平和、精神衛生には
あまりいくないのではないかと思います
「被害」である以上どこかに「加害者」が必要で
たえず加害者を見つけなければならない生き方
そんな社会は決して居心地良くないでしょう
被害感情が強まれば強まるほど
社会も個人も「ふところ」は浅くなりますから

<エビネの花言葉は「謙虚な恋」です>