廣瀬純 龍谷大専任講師より
ラテンアメリカ諸国では90年代末から次々に
左派・中道左派政権が誕生した。(略)
こうした政権誕生の背景には、90年代半ばから各地で活発化した
「新たな」社会運動の隆盛がある。
例えばメキシコの先住民運動、ブラジルの土地なし農民運動、
アルゼンチンの失業者運動、ボリビアの水道自主管理運動などが
よく知られている。
これらの運動に共通する特徴は、
第一に、その「主役」が非正規雇用者や失業者だという点にある。
80年代半ばに新自由主義が本格導入されるまでは少なくとも、
全国規模の労組に属する正規雇用者が運動の主役であり、
非正規雇用者や失業者は「その他大勢」に過ぎなかったが、
この関係が完全に逆転した。
これに伴い、運動の起こる場、交渉の相手及びその内容も変化した。
運動の震源はもはや工場やオフィスの内ではなくその外となり、
また交渉も経営者に対する賃上げ要求から
政府に対する社会政策の要求へと移行した。(略)
第二に、運動が居住地区単位で組織されるのも共通点の一つだ。
正規雇用者が主役だった時代、
運動は職場や業種を単位として組織されていたが、
非正規労働者や失業者、
あるいはインフォーマル経済従事者が主役の今日では
近隣住民同士が集まることで運動グループが形成されるようになった。
ラテンアメリカにおいても伝統的共同体はもはや存在しない。
共同体を新たに構築し直すこと自体が、運動の要となったのだ。(略)
今日のラテンアメリカの運動では、
新たな「生き方」の集団的創造にこそ活動の中心がある。
社会政策の要求はそのための「二次的」な闘争に過ぎないとすら言える。
日常生活は単なる「生存」「再生産」の場ではもうない。
社会運動は日常生活の外(職場)にあるのではなく、
その「ただなか」で行われるものとなった。
この変化に応じて女性が運動の表舞台に
登場したことも銘記しておくべきだ。
「女性の社会進出」は企業で要職に就くことや、
役人、政治家になることだけではないのだ。
主役交代が不可逆的に進む今日の日本にとって、
ラテンアメリカの経験が示唆することは少なくない。
もはや迷妄でしかない「完全雇用」という偽りの理想のかなたにこそ、
「生きること」自体のなかに創造性を取り戻すための地平がある。
これこそが来るべき左翼運動の姿だろう。
<ヤブランが紫色の小さな花をいっぱい咲かせています>