なぜ大学はタダでなければならないか 白石 嘉治

金銭になじまぬ認識・感情
 白石嘉治(フランス文学者・上智大学非常勤講師))

日本での大学への進学率は50%を超えている。
他の先進諸国と同様の「過去最高」(文部科学省)の水準である。

とりわけ日本の金銭的な負担は突出している。
授業料がおおむね無償のヨーロッパ諸国や、
返還義務のない給付奨学金が充実している米国などとは比べようもない。
そもそも日本学生支援機構の「奨学金」は貸与であり、
実質的には教育ローンでしかない。
にもかかわらず、日本政府は国際人権A規約は批准しながら
その中の「高等教育の漸次的な無償化」は拒み続け、
高額な授業料と公的な給付奨学金制度の
不在という例外的な状態を放置している。

それにしても、なぜ大学はタダでなければならないのだろうか?
いわゆる財源は問題にならない。
経済規模のより小さな諸国でも、
大学の無償化は実現されているのだから。
なにより理解すべきは、大学であつかう認識や感情の表現が
売買できない性質のものであることだろう。
それは物質的な財とは異なり、厳密には交換のロジックになじまない。
われわれは商品を手放して代価を得るが、
何かを語っても言葉は失われない。
大学の無償性の国際的な合意を根本で支えているのは、
そうした認識や感情に関わる営為を金銭の論理によって
コントロールすることへの違和感にほかならない。

よく生きるために、学び群れ集うこと。
このプリミティブな大学への欲望に
金銭のたがをはめることはできないし、
日本の現状は解消されなければならない。
私学に通う学生が主流であっても、授業料相当の奨学金を
無条件に給付すればよいだけだろう。

<アザミの葉にはとげがあります