歴史を「生きるための道具」に ハワード・ジン氏を悼む

吉岡忍より

ハワード・ジンはいわゆる歴史家ではなかった
彼は歴史についての考え方を変えた人だった
歴史を力ある者たちの列伝ではなく
普段私たちが暮らし、生きていくための道具に変えた人だった

彼はアトランタの女子大学で歴史学を教える一方
非暴力の立場から人種差別撤廃運動に深くコミットし
それを理由に同大学を追われ、ボストン大学に移った

このときの活動家としての経験と第2次世界大戦に従軍したことが
ジンの世の中の見方を形づくった
彼は爆撃機に乗りナチス・ドイツ支配下の欧州各地を攻撃したが
戦後、空爆の成果とされたもののほとんどが一般市民の大量殺戮と
街の破壊に過ぎなかった事実を知った

第2次大戦は米国にとってファシズムを打ち倒す「良い戦争」だった
だが膨大な軍事費を使い破壊力を増す一方の戦争技術は
どんな戦争目的も雲散霧消させてしまう
「もはや私たちは『正義の戦争』を起こす事がおそらく不可能であるような
人間の歴史の時点に達したのではないか」と彼は考えた

そうである以上我々は知恵を振り絞って戦争や暴力以外の方法で
紛争や対立を解決する事を考えなければならない
政府が『正義』や『名誉』や『国益』を振りかざし
教育や福祉や医療の予算を削って強大な軍事国家を目指そうとする時は
その背後にある権力者や特権階級のたくらみを暴き反対しなければならない—

彼の『民衆のアメリカ史』(邦訳・明石書店)は米国の独立革命や奴隷廃止や
ニューディル政策を冒険家や歴代大統領の偉業としてではなく
普通の人々がこうむった虐殺や追放、先駆的な努力や戦いの「動き」として描ききった

ここには普通の人間が歴史を作る
人々が動けば歴史が変わるという確信がある
彼のその信念は現代の米国のアフガン・イラク戦争批判まで揺らぐことはなかった

・・・・・子どもの頃、歴史を学ぶ事イコール年代を暗記する事のような授業に
非常に違和感を覚えたこと、暗記をやめてしまった事を思いしました・・・・・・

<ストックは温かい地方では咲いているでしょう>