THE BIG ISSUE 138号 雨宮 処凛 世界の当事者になるVOL.81

「前向き」と「後ろ向き」より

最近ある大学生から「自分はいろいろ悩んでしまって
ぐだぐだと考え込んでしまう
どうやったら前向きに生きられるようになりますか?」という質問を受けた
この手の質問は本当によく受ける
特に若者からだ。そのたびに私は思う
「どうして『前向き』に生きなきゃいけないと思うんですか?」

ちょっと意地悪な答えかもしれない
だけどこの悩みの背景ににあるのは世間にはびこる「もっと前向きに生きろ」
「常に120パーセントの前向きでなければならない」という圧力だと思うのだ
これには私も散々苦しめられてきた
前向きにポジティブに生きられない自分とそんな自分への劣等感
だけど気がつけばいつからか『前向き』なんて言葉すら忘れていた

なぜだろう。
おそらく『前向き』の背後にある裏メッセージみたいなものに気づいたからだ
常に前向きでポジティブで行動的で生産性が高く短期間でより多くの価値を
生み出すような役に立つ人間であれ、というようなメッセージ
別に悪いことじゃないけどそれは企業みたいな価値観だ
そんなのに合わせる必要はまったく感じないし24時間365日
『前向きに生きてます!』なんて人に会ったこともない
もしそんな人がいたらなんかギラギラしていて目なんかブッ飛んでて
不必要に汗だくでやたらと声がデカくて相当にうっとうしいだろう
少なくとも私は友達にはなりたくない

もちろん『前向き』に生きることは別に結構なことだし『前向き』ゆえの快感も
わかるが、それは人に強要されたりする種類のものではない
私は思いきり『後ろ向き』な人間だがこの『後ろ向き』の時間から
多くのものを得たと思っている

一番大きなものは「書く」という仕事だろう
ものを書く、というのは当然自分と向き合う時間が不可欠で
それははたから見たらただぼーっとしてる光景だ
だけど私はそんな時間を「前向き」な時間よりずっと大切にしている
だいたい「前向き度100パーセント」みたいな時って完全にその状態に
依存しているっていうか
なにかものすごく重大な問題を先送りしてる気がするのだ

それに生きるにあたっての方向が「前」と「後ろ」だけなんてつまらない
「横」もあれば「斜め」もあるだろうし、そこに「上下」「左右」とか
いろんな尺度を引っ張ってきてもいいはずだ
ということで、これから「前向きに生きられない」なんて相談には
「じゃあ横向きでは?」と答えることにしようかと思っている

・・・・・依存してるって視点鋭いなぁと思いました・・・・・・

<こんなに寒いのに雲南桜草が咲きました>