格差で有為な才能埋もれさせるな
45年前の国立大授業料は年額12,000円で今は530,000円
大学生の生活費は月10,000円が今は130,000円
この45年間で学費は44倍、生活費は13倍
高等教育費の高負担は何をもたらしているのだろう
大学への進学率が15%以下はエリート教育と呼ばれ
それを超すとマス(大衆)化
さらに50%を超すとユニバーサル(普遍)化と呼ばれる
現在の日本はユニバーサル化の時代だ
しかし日本の高等教育費はGDP比0.5%で先進国では最低である
OECD諸国は平均1.0%であり、しかも高等教育の無償化
あるいは低学費を貫き国家として国民の教育権を保障している
日本では「大学進学した結果の利益を得る者は個人だ」
とする考え方が根強く社会に定着しており
大学進学者を『受益者』とみなし「受益者負担」を当然としてきたが
むしろ社会に欠かせざる人材を送り出し
文化の継承と発展に寄与する重要な役割を果たしてきた
高等教育の受益者の第一は社会でありそれに対するコストは
社会が負わなければならないはずである
現在の格差社会で学費高騰のために大学進学を諦める生徒が増えている
負の連鎖によって貧困格差が固定されていくのだ
格差が社会にとって有為な才能を殺してしまう
このことを私は悲しく残念に思っている
・・・・・・「立身出世して故郷に錦を飾る」というのは
「学問が自分の固有財産である」という特権意識の発想でしょうか
「学問を得た者は社会に役立つ責任がある」という市民社会の発想が
必要ではないでしょうか?
一方で世襲議員や世襲タレントが遠慮なく闊歩するのは
一人ひとりの個を尊重する民主主義社会としてはおかしいと思います・・・・・
<アガパンサスは涼しげな花です>