時代を読む 幸せの方程式 内山節より

「幸せの方程式」が成立しなくなった時代
今回の参議院選挙の過程を見ていてつくづくそう思った
バブル崩壊以前の社会なら経済成長が所得の上昇をもたらし
自由な社会をつくっていくと多くの人たちが感じていた
それが高度成長以降の「幸せの方程式」だったと言ってもいい

もちろんそのことによって本当に幸せが手に入るとは限らない
そればかりか今日の私たちが感じているように
経済成長は消費の拡大をもたらしただけで生活の質を
良くしたわけではなかったと言うこともできる

だが現在ではたとえ経済成長を求めたとしても
この方程式自体が成立しなくなったしまった
経済成長のためには企業の成長が欠かせないが、企業の成長のためには
生産拠点を海外に移したり国内の賃金を引き下げる動きが出てくる
その結果企業が成長してもその果実を受け取れない人々が増えてしまった
経済成長がすべての人々の所得を増やすという構図自体が崩れてしまっている

民主主義や情報化社会の発展が幸せな社会の基盤を作るという方程式も
今では腐蝕してしまった
民主主義は国民の歓心を買う政治に堕してしまったし
情報もまた人々の歓心をひきつけるための情報合戦になってしまっている
この傾向がインターネットの世界にまで波及した
今では民主主義もそれ以上に良い制度がみつからないから支持しているだけで
未来を明るく照らす輝きは失われている

このような背景の中で今回の選挙は行われた
〜中略〜
このことが熱気のない選挙をつくりだした

だがそうであるとするなら私たちの課題も明らかだ
それは私たち自身が新しい「幸せの方程式」をつくりだすことである
どんな地域を作ったら幸せに暮らすことができるのか
自然と人間が幸せな関係を築くにはどうすればいいのか
どんな働き方や文化が幸せな社会のために必要なのか

新しい「幸せの方程式」は私たち自身がつくりだすしかない
とすれば政治家に委ねる時代は終わった
参議院選挙の過程を見ていてつくづくそう思った

・・・・・もともと「こうすればこうなる」というマニュアルはないのに
自分で考えたり行動したりするのがめんどくさいから
「おんぶに抱っこ」を決め込み誰かに依存してきたツケが
まわってきたのかもしれませんね・・・・・・・

<アーティーチョークはものすごく大きな朝鮮アザミのことです>