もてあそばれる命 福島原発 周辺ルポ 森住 卓

放射線測定器などを用意して
写真家・広河隆一氏とともに東北方面に出発したのは
地震翌日の3月12日午前だった

町の中心部に近づくごとに放射線量が高くなっていった
計測器は激しく鳴って、そのうち振り切れてピーと警報音にかわる

町役場に続く道には「原子力 郷土の発展 豊かな未来」という標語
計測器は最大1000マイクロシーベルトまで測れるが振り切れてしまった
全身から血の気が引く思いがした
一刻も早くここを出なければ
長時間の滞在は危険と判断、もと来た道を引き返すことにした

中心部を離れると避難先から戻ってくる住民がいた
私たちは町内に入る車を止めて
「高い放射線が出ているので危険です」と知らせた

それでもビニールハウスの花に水をやるために戻ってきた農家の人や
衣類を取りに来たという子どもを連れた家族などが町内に入っていった
この時点では、誰もが高い放射線が出ていることを知らなかったのだ
15日、伊達市月舘町布川(福島原発から58キロ)では20マイクロシーベルトを検出
商店や近くの住民に高い放射線が検出されたことを伝え
子どもや妊婦は早く逃げて下さいと伝えた

政府や電力会社が放射線量を詳細に発表しない
事故が発生してからの数日間に原発から半径50キロ圏内でも
高い数値を検出していた

その後、政府による避難・退避指示は10キロ、20キロ、30キロと広がっていき
住民への不安を大きくし、事故の規模を小さく見せようとする政府や電力会社の
無責任な態度によって現場の作業員が被ばくするという事態まで招いてしまった

現在でも、原発内では作業員をはじめとして関係者による
決死の復旧作業が続いている
彼らの肩に多くの人々の命がかかっている
東電の勝俣恒久会長は30日、福島第1原発の1〜4号機について
廃炉を宣言した
だが、これまで安全だと言い続けてきた政府や電力会社の
「後始末」をさせられている人が今もいる
命がもてあそばれている

<さくらが咲き出しました。私たちは来年のさくらはどんな気持ちで見るのでしょうか>