お金で買った安全神話 平川克美より

3・11の原発事故以降多くの専門家がメディアに登場したが
そもそも専門家の間でこれほど見解が分かれるのはどういうことなのか

理由は二つしかない
多くの専門家と称する人々にとっても原発や放射能について
本当には分かっていないか、あるいは多くの専門家が
自分の分かっていることよりも優先するものがあるために
嘘をついているかだ

カール・ポパーは「科学の定義とは実験によって反証される
可能性を持っていることだ」と述べたが、私にはこれらの専門家が
科学的であるよりは政治的かあるいは宗教的な語り口を
採用しているように思えた
よく分からないという専門家はいなかった

彼らはデマにならない範囲で自らの言説に手心を加えたり
いくつかある可能性の1つを拡大したり、語るべきことを
語らなかったりといったことをしたのだろうか

では、かくも危険で厄介なものをなぜ開発し
運転し続けなければならなかったのか
その理由についてもまたさまざまな見解や憶測がある

いわく、石油埋蔵量の枯渇。地球温暖化対策。経済成長の切り札。
政治上あるいは軍事上のオプション。
いずれにせよ、ただの1つの誰にでも分かる明確な理由は見いだせない

重要なことは原発を推進するという「国策」だけが
明確な説明と住民合意なしに先行し、その「国策」を正当化し
実行する為に大量のお金が使われたという事実である

それらの大金は原発の安全確保ではなく、安全神話を作る為に使われた
それが問題を科学技術上の問題からまったく別の問題へとミスリードしていった

原発は遺伝子を狂わせる放射能だけではなく
人間の判断を狂わせる利権をもまた排出したのである

利権は1度生まれてしまえば、その保守に加担するステークホルダー(利害関係者)が
増殖する。本来ステークホルダーではあってはならない専門家が
いつの間にかステークホルダーになっている
専門家の意見がかくも分断されているという理由の一つが
ここに起因しているとはいえないか

20世紀はテクノロジーとマネーの勝利の世紀だった
どちらも万能性を志向するが、万能のパワーの使い方を
必ず誤るのが人間というものである

<さるすべりが次々に咲きます>