発達障害の子どもたち 杉山登志郎より その10

授業に参加できるクラスを選ぶ
まず着席して授業に参加することができない状況というのは
子どもは大切な学童期を無駄に過ごすことになってしまう

「参加してもしなくても何が何でも通常学級」といわれる保護者の方々は
自分が全く参加できない会議、たとえば外国語のみによって
話し合いが進行している会議に45分間じっと着席して、
時に発言を求められて困惑するといった状況をご想像いただきたい
これが1日数時間、毎日続くのである

このような状況にさらされた子どもたちは着席していながら外からの刺激を遮断し
ファンタジーへの没頭によって、更には解離によって
自由に意識を体外へ飛ばす技術を磨くだけであろう

参加ができるクラスを選ぶということは学習の成果という問題にとどまらない
達成感がない状態で長い時間を過ごしていて子どもが幸福を感じられるであろうか
さらに無力感と自己イメージのゆがみ、そして情緒的な問題に展開する
子ども自身が自分はそこそこにやれているという自信を持てなくては
結局情緒的なこじれに向かってしまうのである

すべての子どもにとって、健康な育ちに普遍的に必要なものは何かというと
愛着者から与えられる肯定感と、自己自身がはぐくむ自尊感情の2つではないか
この自尊感情とは空想的な万能感の対極にあるものである
自分の万能感を乗り越え、しかしその上でなお、
自分もそこそこにやれているという実感である

暦史学者市井三郎の言葉
「歴史の進歩とは、自らに責任のない問題で苦痛を受ける割合が減ることによって実現される」

発達障害とは明らかに自らの責任で子どもたちが受けたものではない
それをきちんとサポートするシステムこそ歴史の進歩である

・・・・自らに責任のない問題で苦痛を受けないということがまさに人権の根源だと
思います・・・・・・

<シランがあちこちで咲いています>