ニッポンの「原体験」 新しい「国のカタチ」へ 原田宗鳳より

東日本大震災が起きてからすでに1年半という
歳月が過ぎましたが、今も被災者たちは生きるために
懸命の努力をしています。

自らの命を絶つほどに苦しんでおられる方もありますし
また悲痛なことですが、実際に絶ってしまわれる方も
少なくありません

そういう状況にあって全国各地から被災地に向けての支援も
様々な形で成されているのも事実です

しかし、最も本質的な問題がいまだに放置されたままであり
そのことについてはメディアも真正面から取り上げていないように思います

それは、この震災が日本という国の「原体験」の1つであるにもかかわらず
その認識が国民の間で共有されていないという問題です
「原体験」というのは、その国のカタチそのものが変形するほどの
歴史的な大事件のことです
例えば平安末期の保元・平治の乱、黒船来航、太平洋戦争とその敗北など

そして今回の東日本大震災です
それは地震と津波という物理的破壊だけでなく
原発崩壊による放射能汚染という恐るべき脅威を伴ったものでした
だからこそ特筆すべき近代ニッポンの「原体験」なのです

ところが大半の国民は「東北の被災者たちは気の毒だ」という
程度の認識しか持っていません。そこが問題なのです
あれは日本という国のカタチが変わる,
そして変わらなくてはならない大事件だったのです

外国の報道機関は甚だしい数の遺体を放映しましたが
日本のメディアはそれを避けました
被災者の痛みを感じつつ、ニッポンの「原体験」を国民がもっと
真摯に受け止めるためには、事実をありのまま報道すべきでした

国民の大半は被災者に同情しつつも、目先の不便や景気の動向だけに
意識を向け、大量消費生活を改めようとはしていません
そこにあるのは露骨で軽薄なエゴイズムです

ヒロシマ・ナガサキ・フクシマと三度にわたって放射能の恐ろしさを味わった
日本国民は、ある意味、人類文明の分岐点に真っ先に立たされているのです

もはや人間中心ではない、自然と一体となった生命観に基づく
新しい文明構築を開始する使命が日本国民に与えられています

そのことさえ、しっかりと自覚するならば、政治・経済・科学技術・教育などの分野でも
国民が強い連帯感を共有しながらもっと大胆な改革を試みることができるはずです

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