私がこの活動を始めたきっかけをよく聞かれますが、
1980年代後半から1990年代後半に全国で
いじめによる子どもの自殺が後を絶ちませんでした。
それまで子どもは生命力に溢れ可能性に
満ちているというイメージでしたから、
子どもの自殺はあまりにも衝撃的でした。
その中で特に私が驚いたのは
「明日もって行くお金がないから死にます」と
遺書を残して死んだ子どもの存在でした。
その子は毎日脅かされてお金を
取られ続けていたのです。
当初、大人たちは被害者を出さない為
いじめられている子を助けようという発想でしたが、
私はこの事件を機にいのちを大切にするという人権意識は
加害者だけでなく被害者にも希薄であると感じました。
むしろ被害者も加害者もすべての子どもに対して、
いのちを大切にする人権教育が必要ではないかと考えました。
一方で子ども達の保護者は
「子どもを人質に取られているから学校に何も言えない」と嘆いていました。
それなら私のように既に子どもが大きくなり学校に人質にとられていない
第三者的立場の人間こそ、この問題に関わればいいとも思いました。
私は3人の子どもを親だけの力で育てられたわけではなく、
地域の大人たちにいろいろな面でお世話になったと思っていましたから、
今度は私の恩返しの番という気持ちもありました。
また私自身が子ども時代から今日までいのちの大切さを教えてもらった
記憶がほとんどなく、1人ひとりの人権の大切さを知ったのは
残念ながら大人になったからでしたので、
もう少し早い段階で知っていたらという気持ちもありました。
折りしも1994年国連子どもの権利条約が日本でも批准されましたが、
一部の大人が盛り上がっているだけで、その精神が当事者の子ども達に
伝えられる場面はあまりにも貧弱でした。
その様ないくつかの理由が重なり、これからは自分の子どもの為だけでなく、
よその子どもたちのために動いてみようと決めました。
先ずは都内の子どもの人権関連の研究会に所属して様々な専門家と共に
勉強を始めました。
このようにして人権について学ぶことは私自身の悔い多い人生を
生き直すことでもあったと思います。
<冬咲きベゴニアも寒さに強いです>