さまよう亡霊 内山 節 より

経済成長が必要なのかと問われたら
私はそれが目的ではなく手段だと答える
私達の目的は幸せに働き、幸せに暮らすことのできる
社会を作ることにある

幸せに暮らす社会のあり方についても
今日では多くの人々の迷いと模索が続いている

かつては経済的に豊かになれば人間は幸せになれると
多くの人たちが思っていた
しかし今人々は豊かさと幸せは同じではないことに気付いている

幸せは幸福な関係の中にある
例えば幸せな家族を持つ人とは家族との幸福な関係を築いている人であるように
あるいは幸福な関係の中で仕事をしている時
人は自分が幸せに働いていると感じるように、である

もちろん幸せな関係をつくれないほどに困窮してしまう人が生まれることを
許してはいけないけれど、豊かさが幸せな関係を築くとは限らない

そのことに気付いた人たちが今目指しているものは
自然とも、様々な人々とも幸せな関係を再創造する試みである
人間が自然の支配者になろうとした時代から
自然に支えられて人が暮らし、人間が自然の営みを守っていく
そんな関係の社会を人々は作り出そうとし始めている

とともに、人々が結び合い、支えあえる社会の形成への関心が高まり
それが今日のコミュニティの再創造を目指す時代を生み出した

農業や農村に対するまなざしも変わり始めた
農業を支えながら農業に支えられる
農村を支えながら農村に支えられる
そんな幸せな関係を消費者と農民の間につくれないか
そう考える人たちも着実に増えてきた

今日の課題は単なる経済政策ではない
どんな社会を作って、どんな働き方や暮らし方をするのが人間を幸せにしていくのか
課題はそのことの発見にあり、その手段としてどんな経済社会を作ったらよいのかを
論じなければならないのである

とすれば、今日の経済政策をめぐる議論は完全に転倒している
私には現在の雰囲気は経済成長がすべてを解決するかのごとく考える
戦後の亡霊がさまよっているようにしか見えない

幸せな関係の中で私たちが働き暮らせる社会をつくる
それが実現できる、ともに働き、ともに暮らせる社会を作る
今日の課題はこのことの中にある

<はなみずきが咲きました>