法務省 全国中学生人権作文コンテスト入賞作文集より

法務大臣賞 「リスペクト アザーズ」 中学3年生T君より

ぼくは日本人の両親を持ちながら
アメリカのサンディエゴで生まれて
10歳半まで生活し地元のデイケア(保育園)
プレスクール(幼稚園)、小学校に通った

その中で出会った先生たちが何度も口にした
「respect others」という言葉は
今もぼくの行動や考え方に大きな影響を与えている

どこの国でも同じだと思うが集団生活が始まると
誰かが意地悪をしたとか、誰かが誰かにいじめられたとか
いわゆる人間関係のトラブルが起こってくる

そんな時先生たちは必ず「リスペクト アザーズ」と言い
当事者に反省を促した

「リスペクト」の意味もはっきり分からない保育園や幼稚園のころから
ことあるごとに繰り返し叩き込まれた

日本語にすると「他の人のことを尊敬しなさい」というような意味なのだが
今思うと「意地悪しないでみんな仲良くしなさい」とか
「いじめはダメ」というそのときの行動を注意するのではなく
その行動を起こしてしまった根本の考え方を問題にしていることになる

またこの言葉はぼくが入っていたリトルリーグの監督やコーチもよく使っていた
選抜テストがない地元のリトルリーグでは上手い選手と上手くない選手が混合して
12人でチームとして試合に臨まなくてはいけなかった

上手くない選手がフライをポロリと捕りそこなったとき
チーム全体が「おい、このへたくそ」と怒鳴りたくなる場面で
監督やコーチは「リスペクト アザーズ」と言った

やる気がなくてエラーするのはもってのほかであるが
やる気があっても上手くできない選手はいるのである
この場合はそこをわかってやれという意味だ思っている

実際当時初心者だったぼくはこの言葉を聞いて救われる気持ちになり
もっと上手くなるようにうんとがんばり
シーズン最後にはチームに少しは貢献できるようになった

その後ぼくは日本の小学校に通い始めた
周囲のみんなのお陰で生活にはすぐに慣れたが
同時にカルチャーショックも受けた

一番驚いたことはみんなが他の人と大きく違わないように
なるべく同じようになるように非常に気をつかっている様に見えたことである

他人より上手く行かないから目立たないようにしているのではなく
他人より上手くできても目立たないようにしているように感じた

ぼくは最初のうちそのノリがわからず今までどおり自分が上手くできたことを
周りの人にも伝えていたら「それが自慢だ」と言われて何とも悲しい気持ちになった

また友達同士で相手の気持ちになれば絶対言えないような侮辱するようなひどい
言葉を言い合っていても「冗談」と言ってうやむやにしていることにも驚いた

ぼくがよく分からない世界だった
ぼくが叩き込まれていた「リスペクト アザーズ」の世界はここにはなかった

ぼくの限られた経験の話になるがアメリカ(サンディエゴ)では
なぜそんなに「リスペクト アザーズ」を子どもの頃から叩き込んでいるのだろうか

それはアメリカ社会がつい最近までひどい人種差別などを行ったきたことの
反省からかもしれない
そんな過ちをこれから先に繰り返さないように子ども達に叩き込んだり
またそうすることによって大人たちも自分自身を戒めているのかもしれない

ぼくは日本でももっと「リスペクト アザーズ」が浸透していけばいいと思う
日本は表面上差別のない社会なので必要ないと思われるかもしれない

しかし、これこそが人権を考える上での基本だと思う
人権尊重の社会を作っていくのはぼくたち一人一人の考え方によるからだ

同じ人間は1人もいない
人とちがっていることがまたその人の個性である
違う点だけでなく、うまくいったこと、できなくても努力していくことなどを
尊重しあっていくことができればもっとすばらしい社会になっていくと思う

・・・・・・日本社会では尊重と尊敬が混同されている気がします。尊敬は上手い人やできる人や優れている人に向けられる気持ちですが、尊重はそういうこととは関係なくすべての人を大切にする意識のことではないでしょうか・・・・・・

<カモミールが咲いています>