法務省 全国中学生人権作文コンテスト入賞作文集より その2

法務事務次官賞 「立ち止まる」 中学2年生K君より

「メガネザル」と毎日友達から
からかわれるのがつらかったこと
中学生の男子生徒が怖かったこと
話し終えると、あの鉛の塊が僕の口から
転がり落ちた気がした

「僕がメガネをかけているから、変だから
みんなが意地悪するのですよね」

すると先生は頬を紅潮させて言った
「違うよ。K君は悪くない。人と違うところがあっても
何もわるくない。メガネをからかう友達がいけないんだよ」

先生の言葉を聞いたとき、何故だか前がくもって見えなくなった
レンズには僕の涙がいくつもついていた

今の僕なら「メガネザル」と呼ばれても聞き流せるし
サルのまねぐらいして相手を笑わせることもできる

時々「そんなことくらいで傷ついてどうするの。
もっとつらいことをされたり、言われたりする人がこの世には大勢いるんだよ」と
言う人がいるが、僕は違うと思う

人の心の痛みは他人と比べることができない絶対的なものだ
その人がつらいと感じるなら、心のバケツが一杯になってしまっているのだから
より大きなバケツになるには、その人のこれからの経験が心の筋肉を強くするまで
時間がかかるものだと思う

言葉は時にはその人の心を深く傷つける
特に人と違う点や、人とは劣っていると思っていることを
何度も繰り返し集団の中で言われているうちに傷は深く、深くなる

言葉とは他人にものを伝える上で大切な手段にも関わらず
何も考えずに発した一言で相手の胸の中に冷たく思い鉛の塊をも
作り出してしまうほど猛毒になり得るのだ

一方で言葉は他人を救う温かい毛布にもなる
あの時先生が「K君は何も悪くない」と言ってくれた言葉は
僕の胸に詰まった重く冷たい塊を少しずつ溶かしてくれた

14歳になって僕は思う
人と話す時1度は「立ち止まろう」と

これから僕が相手に言う言葉は毒になってしまわないか
それともほんの少しでも相手の気持ちを和らげたり、楽しくさせたりできるだろうか
毛布のような言葉で相手の冷え切った感情を温めてあげることができるだろうか

僕は立ちどまって一呼吸おき、今日も友人や家族と言葉を通して
強く優しい結びつきを築けていけたらと思う

<ヤグルマソウが咲きました>