山極寿一 ゴリラ研究者「勝敗にこだわり社会が「サル化」より

多くの人はゴリラが胸をたたくドラミングを
拳でたたく宣戦布告と思っている
実際は手のひらでたたいていて宣戦布告ではなく自己主張
あの行動には二重性があって自己主張しているけれど
誰かがなだめてくれれば矛を収めると伝えています
人間のような演技性がゴリラにはあるんです

二者間では収拾がつかない事態に、間に入ってくれる
仲裁者が必要だからゴリラは群れをつくる
仲裁者は強くないメスでも子どもでもいい
それはニホンザルとは全く違う社会です
ニホンザルは強い弱いを決めていて弱者が強者に譲れば
争いは起きない
だけどゴリラは負けない。強い弱いを認め合わない

最近『「サル化」する人間社会』という本を書きました
人間の社会はゴリラに似た部分があったのにニホンザルに近づいています
勝敗にこだわるようになった
その方がトラブルが長引かなくて時間がかからず経済的だからです

でも人間は本来「勝ちたい」のではなく「負けず嫌い」なんですよ
現代社会は両者を混同しています
負けないという思想のゴールは相手と対等になること。ゴリラと同じです
一方で勝つことは相手を屈服させるから、恨みが残り、相手は離れていく
本来人間は勝敗を先送りして、対等な関係を保ってきたんじゃないか
経済より社会が重要だと言いたいんです

人間がサルと違うのは、社会や集団のために何かしたいと思えること
そこに自分が加わっている幸福感が、いろんな行動に駆り立てて来たんです
サルは自分の利益を最大化するために集団を作ります
今は人間も自分の利益を増やしてくれる仲間を選び、それができなくなったら
仲間はいらない、となっています

人間とゴリラは五感がほとんど変わりません
そういう五感を中心に作られる社会にはそれほど大きな差はないと思います
ゴリラの群れは十頭前後で、これを共鳴集団というんですが
人間でも家族やスポーツチームがこれにあたります
仲間の癖、性格を心得ているから、試合に出れば声はかけるけれど言葉は交わさない
何を求めているか、目配せでわかる

われわれは家族や、家族のように親しく接している人との共鳴集団があることで
安らぎや幸福感を得ていると思います
私はこれから、そういう人間の家族の起源を再考し、理論に残したいと思っています

<ホトトギスが咲きました>