厳罰覚悟 医師立ち上がる
・終戦当時、朝鮮半島や満州に住んでいた
日本人女性の中には、進駐してきたソ連兵や
日本の支配から解放された朝鮮人、中国人に
乱暴を受ける被害が少なくなかった
心も体もズダズダになり、日本本土に引き上げてきた彼女たちに
追い打ちをかけたのは、望まぬ妊娠や性病感染だった
最大規模の引き揚げ港だった博多港の近くでは
悲劇を目の当たりにした医師たちが立ち上がり
「秘密」の診療施設を開設、治療に当たっていた
・彼女たちをどうやって救うのか—
考えつめた医師たちはひそかに中絶手術を施し
故郷に帰そうと考えた
当時は重症疾患の無い限り、人工中絶は堕胎罪に問われた時代だ
懲役7年以下、医師は免許をはく奪されるという厳罰を受ける危険を伴う
・痩せて短く刈った頭をうなだれた集団が無言で乗っていた
これ以上、暴力を受けることを恐れるように身をやつして
顔を黒くしたり、男装の上に風呂敷を頭からまいて
人目を避けるような人もおり、その姿は痛々しいばかりでした
・前出『局史」は暴行などによる「不法妊娠」で収容された患者数は
46年末までに計281人と記録する
しかし秦医師は手記で「人口流産(中絶)の件数は4〜500件に上り
性病を含む婦人科疾患の患者も同数位あった』と指摘している
・いま跡地の片隅に小さな水子供養堂と石碑が並ぶ
石碑は医師たちが職を賭して活動したことに心を打たれた
県内の高校教師が81年に私費で建立したもので
大きな「仁」の文字が刻まれている
<ストックが寒さに負けず咲いていました>