街場の教育論 内田樹より その3

「学び」を通じて「学ぶもの」を成熟させるのは
師に教わった知的「コンテンツ」ではありません

「私には師がいる」という事実そのものなのです
私の外部に私をはるかに超えた知的優位が
存在すると信じたことによって
人は自分の知的限界を超える。
「学び」とはブレークスルーのことです

ブレークスルーとは自分で設定した限界を
超えるということです
「自分で設定した限界」を超えるのです

「限界」というのは多くの人が信じているように
自分の外側にあって自分の自由や潜在的才能の
発現を阻んでいるもののことではありません

そうではなくて「限界」を作っているのは
私たち自身なのです

「こんなことが私にできるはずがない」という
自己評価が私たち自身の「限界」をかたちづくります

「こんなことが私にできるはずがない」という自己評価は
謙遜しているように見えて実は自分の
「自己評価の客観性」をずいぶん高く設定しています

自分の自分を見る眼は他人が自分を
見る眼よりもずっと正確である、と。

そう前提している人だけが「私にはそんなことはできません」と
言い張ります
でも、いったい何を根拠に
「私の自己評価のほうがあなたからの外部評価よりも厳正である」
と言えるのか。これもまた一種の「うぬぼれ」に他なりません

それが本人には「うぬぼれ」だと自覚されていないだけ、
いっそう悪質なものになりかねません

ブレークスルーとは「君ならできる」という
師からの外部評価を「私にはできない」という自己評価より
上に置くということです、

それが自分自身で設定した限界を取り外すということです
「私の限界」を決めるのは他者であると腹をくくることです