東田直樹より
「抱っこ法」に関しては母がそのようなやり方を
したというだけで、それが「抱っこ法」だと
決めつけられると、抱っこ法の関係者が怒るとおもいます
多くの人は、僕が作家として活躍できるようになった理由を
療育や育て方に見出そうとします
僕が作家になるために母が努力してくれたことは事実です
創作の楽しさを教えてくれたり
作品をコンクールに応募してくれたり
もっとかきたいと思う僕の気持ちを後押ししてくれました
けれども、僕に合った方法で、母が上手に子育てしたから
今の僕が存在するのかどうかはわかりません
「抱っこ法」も同じですが、母が僕にしてくれたことで
人のお手本になるようなものは
あまりなかったような気がします
障害支援については人それぞれであると僕も考えています
けれども、この人にはその支援が適しているとか
上手に指導できたとか、第3者が判断すること自体
難しいことではないでしょうか
僕が現在の様になるまでは、母の子育てなを評価する人など
誰もいませんでした
そういう意味では結果がすべてなのかもしれません
療育や子育てに正解はないのです
なぜそんな風に育ったのか、本当のところは誰にも分りません
親も子も1人1人違うし、自閉症の原因も特定されていない状況で
聞き取り調査をしても真実など解明できないとおもいます
僕の場合、母が誰の言う事も聞かなかったのが
功を奏したのではないかと考えています
母は、僕に障害があると分かった時
(自分の好きなように育てよう)と決めたそうです
それは決して褒められたことではありませんが
リスクもなく僕の様な人間が育つはずはありません
母が立派すぎなかったことも、救いになりました
人間は失敗するし、失敗すればやり直せばいいと
母を見ていて、僕は思う様になったのです