社会意識の構造 城戸浩太郎より(1970年刊)その1

縦の醇風美俗<権威主義的服従>

家父長的家族の家長対家族員の関係は、温情=庇護を条件に絶対服従を強い、
決定は上から下へ一方的に流れた。

これに対する家族員の適応技術は、長いものにまかれてあきらめるか、
上からの抑圧が量的に無限定であり温情によって中和される可能性の
あることに頼りながら、庇護の量を最大にすることに集中される。

従って支配—服従の関係は単なる物理的強制ではなく、
温情という「仁愛」の倫理でヴェールをかぶせられてはいるが、
決して対等の人格を基盤とするものではなく、人格的な優者=劣者の関係なのである。

ここで上の下に対する態度は蔑視であり、下の上に対する態度は卑屈である。
この優劣の人格差にもとずく蔑視と卑屈の態度は、家族以外の階層秩序的な
人間関係にそのまま拡大される。

すべての人間関係がこの様な階層秩序と絡みついている日本の社会では、
たいていの人間は自己より上に優者をもつと同時に自己の下に劣者を持つから、
上への卑屈による劣等感は、下への軽蔑という優越感によって代償されうる。

従って、上にへつらう権威主義的服従は、下に対しては威張るという
権威主義的攻撃となってハケ口を求め、独特の権威主義的パーソナリティをつくる。

俗に権力のタライ回しといわれるものは、日本の階層秩序の構造的性格と、
そこにはめ込まれた人間の権威主義的パーソナリティによる。

家族内の主従関係は、家長の行使しうる実質的権力の量が少なければ少ないほど、
<人情>的要素が強くなる。

武士的な家父長的家族では家長は家族員に対して絶大な価値剥奪を行使しうるが、
下層農民の運命共同体的な家族では家長の権力は形骸化し、
情緒的秩序感の中に解消してしまう。

従って、この権威主義的服従は本来日本の家族制度に普遍的に存在していた
ものではなくて、のちに述べるように明治絶対主義政権が、国民統合の理念を
家族国家観に求め、儒教倫理にもとづく教育勅語と修身教育を通じて教化し、
旧民法によって戸主権を拡大したことによって、むしろ人為的に培養されたものである

<ユスラウメの花が咲きました>