社会意識の構造 城戸浩太郎より(1970年刊)その4

魂の殺人

強制収容所、それは若きゲシュタポたちが、
ドイツの全国民、被征服諸国の国民を支配する
素質をつくるための訓練所であり、また、
自由な人民を主人の言うことに盲目的に従うドレイに
訓練しなおす方法を考えだす実験室であった。

著者は、この貴重な体験を通じて、
この強制作用が個人の情緒生活を
保持しとおすにはあまりにも強力であること、
特に個人が多かれ少なかれナチスの体制を
受け容れている集団に投げ込まれてしまった時は
そうであることを知った。

ナチスの物理的強制も個人的次元で
ふりかかってくるときには心理的に
抵抗することは容易である。

ゲシュタポはこれを知っていた。
そして、あらゆる個人を彼らが監視する集団に投げ込んだ。
彼らの手には、個人を集団の連帯に投げ込みながら、
外圧と内圧との両者によって、個人を
子どものような行動様式に退行させ、
指導者の意志に盲目的に服従する態度をうえつけたのだ。

われわれは、この論文を読んで、
日本の軍隊を思い出す。
「真空地帯」それは、支配層が国民から
批判的な精神を奪いとり、
服従精神をうえつけるための強制収容所であった。

「兵営ハ条文ト柵ニトリマカレタ一丁四方ノ空間ニシテ
 強力ナ圧力ニヨリ作ラレタ抽象的社会デアル。
人間ハコノナカニアッテ人間ノ要素ヲ取リ去ラレテ兵隊ニナル」

そして、そこでの適応と退行の悪循環は、
国家全体に拡大されて、日本全体が1つの「真空地帯」、
1つの強制収容所となった。

今また、日本は憲法を改悪し、
四海に柵をめぐらし、
物理的強制機構を整備しながら、
真空地帯を再編しつつある。

<コブシの花が咲いています。>