日本人はなぜ考えようとしないのか—福島原発事故と日本文化

新形信和より その2

阿部謹也は、日本人は世間に依存して生きているのに
社会で生きているかのような幻想を抱いている、といっています
世間という言葉は明治以前から日本に存在している言葉であり
生活の場としての「世の中」を意味します
それは初めから与えられているものであって
変えることのできないものです

それに対して社会というのはヨーロッパの近代になって
自立した個人の集合体を意味する言葉として成立したものであり
個人の意志の総体によって、どのような社会をつくるかを
決めることができますし、変革もできるものです

明治になって西洋から入ってきた新しい事物は
それまでの日本にはなかったものでしたから
それらの新しい事物を指す新しい日本語を作らねばなりませんでした

こうしておびただしい数の新しい日本語が作られました
(いわゆる翻訳日本語です)
社会という日本語もその1つであり、英語のsocietyに対して
明治になって新しく作られた言葉です

<ヤグルマソウが咲きました>