民主と愛国 小熊英二より その1

歓迎された第9条

・・・・こうした第9条歓迎論は1946年の時点では政府の公式見解でもあった
1946年6月から開会された議会で大日本帝国憲法から
日本国憲法への改正審議が行われた

そこで当時の吉田茂首相は第9条について
「高き理想を以て、平和愛好国の先頭に立ち、正義の大道を踏み進んでいこうという
固き決意を此の国の根本法に明示せんとするものであります」と述べている

議員たちからも「万国に先駆けて規定いたしましたことは、洵に我々国民として
誇りとするものであります」といった発言が数多く出された

さらにこの憲法改正審議で、吉田が
「今日までの戦争は多くは自衛権の名に依って戦争を始められた」と述べて
自衛権を明確に否定したことはよく知られる

また吉田とともに答弁に立った前首相の幣原喜重郎も核兵器が開発された
現代においては、軍備による自衛で生き残ろうという思想のほうが
「全く夢のような理想に子供らしい信頼を置くものでなくて何であろうか」と主張している

核兵器の時代においては軍備の意味は失われたという主張は、すでに1946年4月5日に第1回対日理事会の場で、マッカーサーが演説していたものであった

3月に憲法草案が公表された後、第9条について
「ユートピア的な調子」(ニューヨーク・タイムズ)とか
「子供じみた信仰」(ニューヨーク・サン)といった批評が出ていた

マッカーサーはこうした批評に対抗して、核兵器の時代に軍備で生き残れるという
思想こそ、「子供じみた信仰」だと反論し、自分の統治下で実現された憲法を
擁護したのである

<トケイソウが咲いていました>