日本の反知性主義 内田樹より その4

・我が国は今
「国民国家のすべての制度の株式会社化」の
プロセスを進んでいる
平たく言えば、金儲けに最適化したシステムだけが
生き残り、そうでないシステムは廃絶されるという
ルールに国民の過半が同意したのである。

営利企業の活動はもちろんのこと、農林水産業のような
自然の繁殖力を永続的に維持管理するための活動も
医療のような国民の健康を保持するための活動も
教育のような次世代の担い手の市民的成熟を
支援するための仕組みも、すべてが経済効率だけを
判定基準にして淘汰されるべきだという判断に
国民の過半が同意を与えた。
この趨勢を「国民国家の株式会社化」と私は呼ぶ

・国政におけるいまここでの政策の適否は今から
50年後、100年後も日本という国が存続しており
国土が保全され、国民が安らぎのうちに暮らしているかどうかに
よって事後的にしか検証されない。

・採択された政策が「失敗」したとわかったときに国民は
「CEOを馘首する」というソリュ—ションが採れない
(たいていの場合、失政の張本人はとうに引退するか、死んでいる)

そのとき失政の後始末をするのは国民国家の成員しかいない
誰にも責任を押し付けることはができない
祖先が犯した政策判断の失敗の「尻ぬぐい」は
その決定に参与しなかった自分たちがするしかない
そのような「負債」の引き受けを合理化する唯一の根拠が
民主制である

・誤解している人が多いが、民主制は何か「よいこと」を
効率的に適切に実現するための制度ではない
そうではなくて「わるいこと」が起きた後に国民たちが
「この災厄を引き起こすような政策決定に自分は関与していない。
だから、その責任をとる立場にもない」というようなことを
言えないようにするための仕組みである

政策を決定したのは国民の総意であった
それゆえ国民はその成功の果実を享受する権利があり
同時にその失政の責務を支払う義務があるという
考え方を基礎づけるために擬制が民主制である

<ネコヤナギは最近見なくなりましたね>