だんだん受験シーズンが近づいて、娘は 学校でしてくださる校長先生との面接練習に備えて 準備中。尊敬する人は誰にしよう、と大騒ぎです。
息子に聞いてみたら、尊敬する人は 8人に決めたとか。
面白いですね、そんなところにも 個性が感じられます。エジソンとか、・・
私は、というと 亡き父親を 真っ先に思いました。
理由は いろいろありますが、その1つは お年寄りを 誰よりも 大切にする姿勢です。
家族には厳しい父でしたが、一緒に住んでいたおばあちゃん(母方)だけは
どんな時も 最高の笑顔で 最高の優しい言葉をかけていました。
「(席をあけて)さっ、どうぞどうぞ。おばあちゃん。 今日はほんに 寒かですねぇ。」
「おばあちゃんは ほんに 美人かねぇ。」
「いいえー、そんなこと ないですよ。」
少し九州弁も入って、ここでは うまく表現ができませんが、言葉だけではなくって あなたが1番大切って 誰が見ても感じるほど 親孝行でした。
父の両親は 早くに亡くなりましたので、余計に何かしてあげたい気持ちがあったのかも しれません。
もう1つは、最後まで 責任を持って やり抜く人でした。
毎日 お茶の缶には やることのメモが挟んでありましたが、必ずやっていたと思います。
ですから、信頼されている人でした。
責任を持つ意味では、亡くなる少し前に 病院関係者の方に 全て自分でお礼の言葉を伝え、感謝の小さな品を渡していましたが、これは 父の父が 亡くなる前にそうしたのを見て、自分も やろうとずっと思っていたそうです。
背中を見て育つ、ですね。
その父の姿が、私の中に とても強く 残っています。
わが家のおばあちゃんは まだまだ元気ですが、だんだん年をとって来た時、
父の姿を これから 何度も思い出す事でしょう。
必至に教えなくても、親がやっている事は 自然に体の中に 入っています。
真実として、伝わります。
だから、私自身がやる事も 言葉も どちらも大切にしたいと 思っています。