被災地支援ボランティアバスに参加してきました

マツキです。
6月24日~27日に、大阪ボランティア協会主催の「東日本大震災被災地支援ボランティアバス」に参加してきました。このボランティアバスは、企業のCSR担当者やNPOメンバーを対象としたプログラムで、現地でのボランティア活動を通して、今後自社や企業連携での被災地支援のあり方を考え、具体的な復興支援を進めていくためのものです。

初日は朝8:00に大阪を出発し、高速道路をバスで約13時間。車中では、参加者それぞれの参加の動機や、所属組織の紹介などを行いました。皆さんは会社の動員ではなく、ボランティア経験はないけど何か被災地の役に立ちたいという自発的な想いで参加しておられました。
岩手県一関市の旅館に到着し、次の日に備えて早く就寝しました。

2日目は朝から宮城県気仙沼へ。被災した個人宅前のお庭の泥除去作業を行いました。
休憩の合間に、今回のボランティア依頼者Mさんや、ご近所の方と少しお話をしました。
地震が来た後、裏の神社がある高台に逃げて津波から間一髪助かったこと、津波の後も港の方角から爆発音や火災が続いて安心できなかったこと、近くの川に遺体がいくつか上がっていたが、どうすることもできず、2週間くらい放置されていたこと、大きな船が住宅地まで流れてきて、家にぶつかりそうになりながらも窓の前を通り過ぎて間一髪助かった友人の話、などを話してくださいました。Mさんのお家も、倒壊は免れたものの、床下にたまった泥をかき出した為、1階の床板は今も外されたままでした。

初日のボランティア作業後、気仙沼災害ボランティアセンターに作業の報告とスコップや一輪車の洗浄・返却に行きました。気仙沼災害ボランティアセンターでは、ボランティアの受け入れ・登録、ニーズとのマッチングなどを行っているところです。県外ナンバーの車や、若者の姿もたくさん見えました。

旅館に戻る前に、バスで気仙沼の市街地を通って漁港を訪れました。バスから見た印象としては、市街地は看板やシャッターがひしゃげたり、がれきが残っているところもあり、まだまだ日常には戻っていないように見受けられました。漁港にいたっては、積み上がった車や家屋の残骸、打ち上げられた船が散乱していました。山海に囲まれたのどかな風景とのギャップが、どこか現実味のない不思議な光景でした。

3日目はあいにくの雨。作業を決行するか協議の末、午前中だけ作業することになり、住宅地の側溝の泥かきを行いました。側溝にたまった泥が、地域の排水を妨げて、少し匂いも発生していたので、それを除去する作業です。他のボランティアグループも作業しておられたので、後半は協力して行いました。昼過ぎには完了し、バスで現地を去る時に、ご近所の方総出でお見送りしてくださいました。パンの差し入れもいただきました。

災害ボランティアセンターで報告を済ませ、いったん一関の旅館に戻って温泉に入りました。その後はちょうど当日に世界遺産になった平泉の金色堂を訪れました。今回の世界遺産入りが東北の人々の励ましになることを願いつつ、バスで一晩かけて大阪まで戻ってきました。

今回のボランティアに参加して感じたことをいくつか書き留めておきます。まだ整理できていないこともありますし、顕在化していない気付きもあると思いますが・・・

・世代・性別・業種の違う様々な人たちが、ひとつの目的に沿って自発的に行動する。時には現場の人とも連携して即興のチームができる。ある意味NPOができあがるプロセスを凝縮したような体験でした。
・現地の近所を歩いている時に、「遠くからご苦労さんです」と声をかけられたり、作業後に見送ってくださった方が涙ぐんでおられたり、現地の人の歓迎的な反応は、自分が思っていた以上でした。
・地元の清掃活動には参加したことがなくても、わざわざ東北まで駆けつけたくなる不思議さ。正直、世界遺産を見るよりも、知らない人たちと知らない場所の泥かきをしている方が、ある意味エキサイティングでした。
・今回現地で行った作業は、想像していたよりももっと日常の些細なことをお助けする内容でした。でもこういった、生活者に近くて地味だけど細やかなサポートをすることが、現地の方が日常を取り戻していく小さな一歩になるのかなと思います。
むしろ、そういった些細な作業のために、関西からあれだけたくさんの人が身銭を切って駆けつけてくれた、その事実の方が、現地の方を勇気づけるのかもしれない。見送りをしてくださった方が涙ぐんでいらっしゃったのを見て、そう思いました。

これからも、被災地とともに何ができるのか、できることから動きながら、考えていきたいと思います。