大漁旗がツリーになった日(5)

(つづき)
やがて日もとっぷりと暮れ、5時半、点灯式となりました。
阿部平ささかま店の阿部まち研会長からあいさつがあり、その後インテリア工房ながいの永井まち研事務局長の発声に合わせ、いあわせた全員でクラッカーを鳴らし、同時に点灯となりました。

大漁旗ツリーのうしろで魚網イルミネーションが鮮やかに浮かび上がり、これに大漁旗を浮かび上がらせるライトも加わって、場は昼間とちがった幻想的な雰囲気につつまれます。

くるくる広場向いのディスカウントショップつたやさんに特別にたのんで屋上まで上がらせてもらいました。下からではわからないツリーのかたちが、上から見ると実にうまく表現できているのがわかり、たいへん感動しました。これはほとんど私が最初に思い描いていたとおりの作品です。
そしてこれは他でもない、街のみなさんの力を文字通り結集することによってできあがったものなのです。
大漁旗は豊漁を祈るとともに、海上での安全を祈願する港町ならではの文化財であり、アートです。こうした宝やアートが、日本の各地で野ざらしになっているのではないかと思います。また同じように、とてもステキな人や歴史、文化をもった商店街なり街があっても、それが単に買物に不便だとか、近くに大きなショッピングモールができたといったことで、元気をなくしている、あるいは使い捨てのように扱われているのではないかと思います。
それを、アートや何かでもって、ちょっと視点を変えて見てみる、手の届くところ、明日から始められることを、ちょっとずつやっていく、それが毎日を楽しく生きること、街を元気にすることへとつながっていくのではないかと、塩竈のみなさんのこれまでの取り組みや、今回いっしょにプロジェクトを行うことを通して、改めて感じることができました。

そしてそうしたことに気付いた街が、少しずつつながっていく。東鳴子ゆめ会議のメンバーを交えての夜の交流会は、とてもなごやかで楽しいものでした。
お互い、遠く離れた場所にいながらも、こうして顔をつきあわせ、いっしょに汗を流すことでふところを開き、幸せな気持ちになれる。お互いに認め合い、何かあれば遊びに、手伝いにと駆けつける。そうした顔の見える交流こそが、さまざまな分野で今もとめられているリアルさであり、街にとって、人にとって、そしてアートにとっても、本当に必要なコミュニケーションのあり方であり、表現方法なのではないかと思います。

交流会の後は、昼間あら汁を差し入れてくれた尾島町「とんとん」へと場所を移してのニ次会。東鳴子メンバーを囲んで、大漁旗がツリーになったこの楽しい一日は、ゆっくりと過ぎていきました。

(コメント:門脇篤