ついに『ほんがら』が姿をあらわす!! 『輪づくり』・『真づくり』 【前編】

2月28日。
時折小雨の振る肌寒い朝。

今日はいよいよ『輪づくり』の日。
50数年ぶりに「ほんがら松明」が復活するその姿を目の当たりにできる日。

15人ぐらいの島町の老人達が、今日の作業場であるMさん宅の倉庫に集まってきた。
皆、半世紀前の自分に戻ったかのごとく、少年のように目を輝かせている。

そして、誰が合図するでもなく、作業は始まった。

50数年まえの青年たちが、当時の記憶を手繰りながら、竹を割り、思い思いに『輪』を編んでゆく。

人くくりに「老人」といっても、年齢は60代後半から80代前半と、ひと周り以上違う。
当然、青少年時代の記憶も少しずつ異なり、所々でちいさな言い争いも起きる。

でも、ああでもない、こうでもないと言い合いながら、作業は淡々と進み、次々と竹の輪が出来てきた。

みんなで作った50個ほどの「輪」を、一番大きいものから一番小さいものへと順番に並べ、竹に通していく。

 

さて、ここからが昭和一ケタ生まれの腕の見せ所。
老人達がズラリと並び、ワラ縄を使って次々と手早く芯竹に輪をくくりつけていく。

この時に使われるのが、「男結び」という結び方。
「男結び」は、しっかり結べてほどけにくく、しかも結び目が美しい、と言われている。

「松明を結うのは男結び」、というのは彼らにはもう身に染み付いた習慣だが、生活の中でワラ縄を使う機会がなくなってしまった世代には、男結びができない男衆も多い。

事実、稲作中心の農村集落であるこの島町ですら、ワラ縄はホームセンターに(恐らくは中国産のものを)買いに行かないとない時代なのである。
 

「ほんがら松明」は、とにかく結び目が多い。

輪の内側に3本、輪の外側に6本、芯竹を通すので、輪の数が50とすると、単純計算で(3+6)×50=450箇所も結び目があることになる。

その全てを「男結び」で着々と仕上げていく老人たちの手早さは、とても50年ぶりとは思えない熟練の技を思わせる。「朝飯前」という言葉がピッタリくる仕事ぶり。
 

…実は、この日に先立って、私たちはあるシカケをしていた。
そう、2/24の若衆の集まりで、このプロジェクトのことを紹介させてもらった時に、この日に「輪づくり」の作業があることを伝えておいたのだ。
 
すると、どうだ。

平日だというのに、1、2、3、…4人の若者たちが、この輪づくりに参加しにきてくれた。
爺さんたちの寄り合いに、働き盛りの若衆が仕事を休んでまで顔を出す。
こんな光景、今まではありえなかったんじゃないか?

若者たちも、見よう見まねで輪を編み、男結びに挑戦。
この日ばかりは、ウルサい爺さん達の言うことを素直に聞いている…。

4人のうちの1人、Sさんは、3年前に家族で外から島町に引っ越してきた。
田舎暮らしがしたくてあちこち探し回り、この島町に一目惚れして、家を建てたそうだ。

「田舎はつきあいが大変だぞ!」と周囲からさんざん諭されたそうだが、Sさんは言う。

「つきあいがあるからこそ楽しいし、安心して暮らせる。“つきあいが大変だ”という意識を持ってしまう今の社会の方が問題だ。」

「祭があったり、いろんな寄り合いがあるおかげで、地元の人たちと顔なじみになれた。」

「この土地に祭があって良かった。」
 
この日、老人に教わりながら、初めて「男結び」をマスターしたSさん。素直に喜ぶ満面の笑みに、幸せな感情が周囲にも伝播する。
 
左義長にも松明にも共通する、地域コミュニティにおける「祭」の存在意義。
そして、ほんがら松明づくりが生み出した、世代から世代への伝承。

私たちがなぜこのプロジェクトを始めたのか、答えのひとつが垣間見えた瞬間。