事件です!!
島町老人クラブによる「ほんがら松明」復活をきっかけに我々が知ることとなった島町の春の祭礼。
この祭は2日間に渡って行われる。
1日目の夜(宵宮祭)は、町民が担ぐ「大太鼓」を神社に迎え入れ、送り出すための「巨大松明」が神社に奉火される。
そして2日目(本宮祭)は、地元の若衆が神輿(みこし)を担いで地域にあるいくつかの神社を巡って練り歩く。
「ほんがら松明」づくりも、「神輿担ぎ」も、かつては地元「青年団」の役目だった。
青年団とは、15歳〜25歳の地元住民が所属する組織で、祭や運動会、道普請などでの奉仕活動を通じて、責任ある立場として地元に貢献していた。
その頃はほぼ全員が専業農家で自給自足生活だったので、青年団という強固な拘束力を持った組織が存在し得たが、生活スタイルが変わり、皆外へ出て働くようになって、青年団は徐々に機能しなくなり、その機能は全て「自治会」に委ねられ、いつしか青年団そのものが消滅してしまった。
農村地域の様々な課題は、実はここに大きな根本原因がありそうだ、ということを、私たちは現場での活動を続ける中で何度も感じてきた。
現在の子ども達は、「子供会」を卒業すると、「自治会」の役員が当たるまで、地域との組織的なつながりが何もない。そうなると、地元でのヨコのつながりが育たず、地域への愛着も深まらず、若者のコミュニティが希薄化し、地域離れが加速するのは至極当然の成り行きではないか。
一方、青年団が地域で担ってきた役割を全て背負ってしまった「自治会」という組織は、毎年役員が総換えされてしまう継続性・発展性の乏しい組織体であり、たくさんの「重荷」を「一年間の辛抱」として淡々とこなし、来年に引き継ぐ、というだけの構造になってしまっている。
端的な例が、神輿の担ぎ手確保。
神輿の担ぎ手は、地元に住む15歳以上の若者で、若い順に14人、と決まっている。これは、今も昔も変わらない、神事としてのルール。
青年団が神輿を担いでいた頃は、担ぎ手が足りないなんてことはなかった。
ところが今は、毎年、自治会長が若者がいる家を一軒一軒廻り、拝み倒して祭に参加してもらわないと担ぎ手が14人揃わない。
今年度の自治会長も、断腸の思いで土下座までしてどうにかこうにか担ぎ手14人を集めた、という。それも、10代、20代で思うように集まらず、40過ぎの人にまで参加してもらっていた。
ほんがら松明が復活する今年、一方で存続の危機に瀕する神輿の方も何とかしたい!という思いが、自治会長と一致した。
そして、30〜40歳前後の若衆の有志に声を掛け、自治会からも呼びかけてもらって、地域の若者全員が集まる場が設けられた。その第一回目が今日、2/24だった。
もちろん本当に全員が集まったわけではないが、十数名の若衆が集まってきた。
そして、その場で事件は起きた。
自治会長の話を聞いた若衆。なんと
「神輿担ぎは自分たち若者の役目。これからは、自分たち若者で“祭礼実行委員会”を組織して、責任を持って神輿の担ぎ手を集め、祭を成功させよう」
という話がその場でまとまった。
「祭」という地域財産のおかげで、青年団の消滅とともに消えかけていた地域の若者をネットワークする受け皿が、今、ここに復活したのだ。
もちろん、まだまだ課題山積ではあるが、島町、面白くなってきた!!
(余談)
実は、この若者の会合の場で、少し時間をもらって老人クラブの「ほんがら松明復活プロジェクト」を紹介させてもらった。
まだまだ、老人以外の世代には、「おじいちゃんたちが何かやっとるわ」ぐらいにしか思われてなかったので….。
説明に使ったのは、AAFのプレゼン用に作ったものをアレンジした映画の予告編。
果たして、このことが、また「次」につながることに…。