午後8時半ごろ。
2本目の松明に点火された若宮神社に太鼓が到着。
神社を取り巻く見物人もぐんと増える。
ひと昔前は、祭の日には親類縁者が家元に集結して、見物人ももっともっと多かったという。やはり、祭はギャラリーが多いほうが盛り上がるし、楽しいものだろう。
到着した太鼓は、本殿の前まで行くと、掛け声とともに頭上高くに3回持ち上げられる。これは「シュウシ」といって、八幡祭でも恒例の印象深いシーン。
そして、3本目の松明に点火…その時!!
恐れていたことがおきてしまった。
なんと、「ほんがら松明」の胴体に飛び火が引火してしまったのだ!!
ドンガラ松明はもともと外側から火をつけるものなので、飛び火しても大きな問題ではないが、「ほんがら松明」は違う。
煙突状の「真」の底から火を入れ、松明の内側を通っててっぺんに火がつくのが「ほんがら」の見せ所。それを再現したいがために、村の長老たちが一年がかりでつくりあげたのに、飛び火で外から燃えてしまったのではすべてが水の泡。
神社全体に戦慄が走る。すると!!
自警団の若者のひとりが、ほんがら松明に飛びつき、飛び火した場所までよじ登って、素手で火の粉をはたいて火を消した。
それでもまだくすぶっていたので、ペットボトルのお茶をかけて見事に鎮火。
すげえ!
惜しみない拍手。
この瞬間から、言い知れない一体感が全体を包み込んだ。
そして4本目。
いよいよほんがら松明に点火。
期待と不安を胸に、見守る老人たち。
自警団に太鼓を担いできた者たちも加勢して、ほんがら松明を取り囲む。
老人達が口々に燃やし方を伝える。みんなが大将。若者は誰の言葉を聞いていいか迷う場面も…。
まず、縄(燃えにくいよう、水に浸けてあった藤づるが使われている)と「アホ」(竹竿)で支えながら、慎重に松明を20度ほど傾ける。
底の穴に、火をつけた菜種殻を突っ込み、一気に垂直に戻す。
すると、松明のてっぺんから、モウモウと白い煙が出てきた!!
白龍の如く、漆黒の天上へ向かってくねりながら勢いよく立ち上る煙。
煙だけでも、圧倒的な迫力がある。すごくカッコイイ。
こんな光景は、八幡祭でも、ほかのどの町でも見られない。島町民すら、大多数は初めてみるはず。
そして、10数人の若者が、松明の底に結び付けられた地突き縄をもって「せーの!」で松明を持ち上げ、ズドンと落とす。この時、松明の中に空気がフゥッと入り込み、火が吹き上げられて上まで届く、という算段だが…。
なんせ、やるほうも生まれて初めてなら、教えるほうも50数年ぶりとあって、呼吸が合わず、松明が持ち上がらない。煙は出ても、火は上がらない。
ゲキを飛ばす老人。怒鳴り返す若者。皆が必死ゆえに、高まる緊張感。
煙の勢いが衰えてくる。再び火入れからやり直し。
やはり、地突きがなかなかうまくいかない。
いつもなら、とっくに太鼓が帰り、全ての松明に火をつけ終えているはずの時間。
あせり、苛立ちが募る。
「ようやった、もうええやろ」と言って、外側に火をつけようとする人。
飛び交う怒号。戦々恐々。
「もう一回やろーや!」
「みんな本気で力出せよ!」
「タイミング合わしていくで!」
「せーの!」
『ズーーン!!』
若者たちが意地を見せた。会心の地突き。
立ち上る煙が再び勢いを増す。
一気に息あがる若者たち。
もう一度火を入れ、ようやくコツをつかんだ地突きをニ連発。
松明の中からパチパチという音がこだまし、おびただしい煙とともに、真っ赤な火の粉が松明のてっぺんから飛び出してきた!!
湧き上がる歓声と拍手。
肩を抱き合い、万歳三唱する若者たち。
ほほを緩ませ、じっと炎を見つめる老人たち。
…正直、うまく火がつかないかもしれない、と思っていた。
60年前、青年団が毎年4本も5本もほんがら松明を作っていた時でさえ、うまく上からポッと火が出るのは1本あればいいほうだった、と老人たちから聞いていた。
しかし、こうしてほんがら松明復活の現場に居合わせた者として確信する。
この松明は、文句なしに「おもしろい」。見るのも、作るのも、火をつけるのも。
先日の八幡祭の船木町も面白いと思ったが、その比ではない。
難しいがゆえに、工夫のしがいがある。
かつて、青年団の若者たちが「ほんがら松明をいかに上手く燃やすか」にしのぎを削っていたことが心底納得できる。
事実、その場に居合わせた若者たちも「しんどかった」と後ろ向きな意見はほとんどなく、「おもろかった!」「来年もやりたい!」と口々に語っていた。
その場を経験したものだけが共有できた思い。
「(古くても、新しくても、) まつりって楽しい!!!」
これが、次への原動力になれば。