私(藤田)は、当初はこの中国旅行に同行する予定ではありませんでした。
マルチメディアセンター長に就任して以来、お盆と正月以外、1週間も職場を離れたことは一度もなく、自分が中国へ行くことなど考えもしていませんでした。
しかし、マネージャー的な役回りの男性スタッフがどうしてももう一人必要ということになり、スケジュール帳を確認すると、その週だけは、たまたま、何とか代役をほかの人にお願いできそうな予定しか入っておらず、「ひょっとしたら行けるかも」と思った瞬間から、運命の歯車が回り始めたのです。
この旧満州国に降り立ち、その壮絶な歴史の記憶を辿りながら、行く先々でTおばあちゃんの語りに耳を傾け、今、こうして果てしなく広がる大陸の真ん中を車で走り抜けていると、つい先日亡くなったマイケルジャクソンの「Heal the world」や「We are the world」、それにジョンレノンの「Imagine」が、頭の中に繰り返し流れてきます。
「A子(Tおばあちゃんの長女)は、戦争の犠牲になり、生後11ヶ月にして、栄養失調で亡くなった。A子だけではない。難民収容所にいた他の子供達も、みんな死んでいった。」
「人間同士が傷つけあい、罪のない尊い命を奪ってしまう戦争が憎い」
「世界中で、二度と戦争の起きない平和な社会をつくりたい。そのために、自分にできることをやり続けていきたい」
これが、Tおばあちゃんの「遺言」です。
この「遺言」を聞いた瞬間、私は、自分の体と心が震えるのを感じました。
そして、確信したのです。
今回、私がこの旅に同行することになったのは、偶然ではなく、必然であった、と。
私には、私達は、この地で11ヶ月の若さで亡くなったA子さんの魂に呼ばれてここまで来たのではないか、と思えてならないのです。
Tおばあちゃんは、A子さんが栄養失調で亡くなったのは、十分な食事を与えてやれなかった自分の責任だ、自分が殺したようなものだ、とおっしゃいます。
もし戦争がなければ、A子さんはきっと今頃元気で大きくなって、子供や孫に囲まれて幸せに暮らしていただろうに、と。
でも、私は、そうではない!と信じたい。
A子さんは、しゃべることも笑うこともできず、やせ衰えて11ヶ月で亡くなるという、一見悲しい悲しい人生を、自ら選択してこの世に生を受けた、とても高貴な魂の持ち主だったのではないか、と思うのです。生きている間に自分自身の手では何もできなかったかもしれませんが、死後60年以上たった今もなお、Tおばあちゃんや、娘さんや、お孫さんや、私達スタッフをも動かして、「戦争のない平和な社会づくり」のための礎を築こうとしておられるのですから。
そんなA子さんの魂の導きに、私達は応えなければなりません。
ジョンレノンやマイケルジャクソンでさえ成し得なかった、「本当の世界平和の実現」のために、私達のような凡人に何ができるか分かりませんが、それでも、90歳にして「できることをやり続けたい」と言わしめるその精神を、私達は見習い、次世代に語り継いでいかなければなりません。
一人でも多くの人間に、本当の世界平和を願う気持ちを共有してもらうために、今回の遺言プロジェクトが、小さな一歩になれば、と、今、心を新たにしています。
Imagine all the people living life in peace…
You may say I’m a dreamer.
But I’m not the only one.
I hope someday you’ll join us.
And the world will be as one.
(from “Imagine” by John Lennon)