大沼さんから伺った数々のお話やエピソードの中で、特に印象に残ったこと。
鳴子温泉郷には、日本国内にある11種類の泉質のうち、9種類までが揃っているという。ここにいれば、何も加えず何も引かない源泉かけ流しの湯を、毎日贅沢に存分に味わえる。
昔は、毎年農閑期になると、農林漁業で疲れた体をリフレッシュするために、方々から人々がこの地に集っていた。そこでは、お互いに情報交換をしたり、物々交換をしたりと、今風に言えばコミュニティカフェ的な役割を担っていたに違いない。
映画「ほんがら」でも、50年前の記憶を頼りにおじいちゃん達が集ってほんがら松明をこしらえたように、この湯治場でも、かつてここに通っていた時代を記憶する人たちをもう一度ここに呼び集めて、当時の記憶を現在に呼び覚ましてみたい。今年のフェスティバルでは、ぜひそれを実現したい、と。
…滋賀県では、知事さんを筆頭に、「地元学」といって、地域に根ざしたミクロな記憶を集積することで地元を捉え直す動きが盛んだが、そこでは、「昭和30年代」がひとつの共通するキーワードになっている。すなわち、高度成長以前の暮らしの記憶こそ、地域の本質であり、持続可能な循環型社会のモデルであり、それを実際に体験してきたお年寄りの記憶こそ、かけがえのない地域資源である、と。
「農閑期に湯治場に通う」という習慣も、「昭和30年代」ごろまでは、この地域に住まう人々にとっては必然な行為であったのだろう。地球と合体して、地球によるヒーリングで肉体を再生し、また、陸上での営みや施しに精を出す。それは、体内の血管をめぐる赤血球たちが、肺胞で満杯に酸素を取り込み、それを体内の細胞たちに施してまた肺に戻ってくるのと、よく似た感覚かもしれない。
もうひとつ。
疲弊した地域へ行くと、どこでも二言目には「温泉でも出たらいいのに…」とつぶやく人がいるぐらい、そこらじゅうから良質の温泉が湧き出るこの地はヨソから見ると「うらやましい」場所なのだが、温泉地には温泉地の苦労があることを知った。
寒冷な山間地で、ただでさえ米づくりが難しいうえに、そこらじゅうから温泉が湧き出しているがゆえ、山水・川水にも硫黄分などの泉質が含まれていて、鳴子の米は質が良くない、と、風評被害も含めて長年そういうレッテルを貼られてきたそうだ。
これに対し、2006年から、地元有志が結集し、鳴子温泉地域の地域づくりを以前から指導していた民俗研究家の結城登美雄氏を総合プロデューサーに迎えて、「鳴子の米プロジェクト」がスタート。
かつて農業試験場で開発されていたものの、コメ余りによる減反政策の陰で長い間埋れていた、寒冷地に強く食味も良い「東北181号」という山間地向けの品種を鳴子で栽培し、「ゆきむすび」というブランド名で売り出し、この米を地域で買い支えることで販売価格を固定して、非効率な山間地でも持続可能な農業のしくみを地域全体で育てる。
まさしく地産地消。
まさしくコミュニティビジネス。
心から拍手を贈りたい。パチパチパチ!!
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今、米の売り渡し価格は1万3千円、1年間の労苦の賃金やいろいろな経費を取ったら、とても食べていける収入ではないの。今に農業やる人いなくなるね。農村もなくなるね。米づくりは地域づくりの基本、暮らしの基本だったんだ。米がなかったら鳴子の湯治だってなかったよ。米って農家だけで作るんじゃないんだ。食べる人が作る人と一緒になって応援していかないとね。農政で救うことはできないんだよ。
鳴子には年間83万人もの宿泊客があるんだ。旅館を出たら「ハイさようなら」ってなんだか冷たいね。例えば、帰りにおむすび二つ経木に包んで渡したら、鳴子の米の輪が広がる。鳴子の魅力も大きくなる。140ヘクタールで作ったら83万人分だね。
地域に鳴子の米を食べる食卓をいつでも、どこにでも作って、鳴子の米を食べる場をいっぱいにしよう。
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(「鳴子の米プロジェクト」ホームページより抜粋)
http://www.city.osaki.miyagi.jp/annai/kome_project/
そして、何より驚かされたのは、大沼さんの結婚披露宴のエピソード。
なんと、黄金色に輝く稲刈り前の田んぼの畦を使った屋外披露宴!!
これはぜひとも生で見てみたかった。
大沼さんから夢のある話をたくさん聞き、おなかも心もいっぱいになったところで、大沼さんは、なんと「湯たんぽ」を取り出し、そこに源泉のお湯をそのまま入れて手渡してくださった。
これはまた、いい夢が見れそうだ♪
——翌朝。
朝食前に気持よく目覚めた。
残雪と分厚い霜に覆われたまちを冷たい朝日がまぶしく照らす中を、ちょっとだけ散歩してみた。
外の空気は凛として、ことさら澄んでいるように思えた。すべりやすい足元の路面に注意しつつ、人気のない早朝の表通りをブラブラと歩く。
まっすぐな商店街の正面に、きれいな三角形の山がそびえている。近江八幡の旧市街(新町通)から見る八幡山とシンクロしたせいか、とても心が落ち着く風景だ。
湯治場文化の衰退とともに、このメインストリートも、哀愁に満ちたものに変わりつつあることが伺えた。しかし、それは必ずしも憂うべきことではないのかもしれない。なんといっても、ここの「お湯」と「湯治文化」は、嘘偽りなきホンモノであり、それは未来永劫変わらない。そして、大沼さんのようなプロデュース力のある「地の人」もいる。そう考えたら、この一見さびれた商店街のまちなみも、朝日に照らされてキラキラ輝く宝の山に見えてきた。
(追記)
この旅行からの帰宅後、ひとつだけ困ったことが。
鳴子での「地球との合体」体験以来、無機質な水道水をガスで沸かした自宅のお風呂や、塩素消毒している一般の循環式の温泉では、どうにも物足りなくて仕方がない体になってしまったのだ…。