昨日の夕方、久しぶりに日比谷に出かけて、帝国劇場で上演中の「レミゼラブル」を観てきました。

昨日は帝国劇場開場100周年記念の、しかも「レミゼラブル」初演(1987年)の時のオリジナルキャストによる、スペシャル・キャスト・バージョンという特別な日でした。

24年前にあの舞台で演じた方が、今も第一線で活躍されていることに、まず驚きと尊敬の念を抱きました。

中でも私の憧れの鳳蘭さんは、ひときわ「華」のある方で、今回の劇中の役はどちらかというと汚れ役でしたが、劇がすべて終わってカーテンコールになって出演者全員が舞台に並んで客席に向かって笑顔を向けた時、やはり鳳さんの所だけがスポットライトを浴びているような輝きがありました。そう感じたのは私だけではないはずです。

「オーラ」とか「華」というのは、単に容姿が端麗であればいいかというものではなく、それを超えた何かなのだと感じます。そこだけスポットライトを浴びているような明るさと輝きが、磁場のようなものを作って、人の視線と心を磁石のように惹きつける。「華」も実は強力なエネルギーの一種なのかもしれません。

「レミゼラブル」の舞台上での民衆の闘いや過酷な暮らしを見ているうちに、大震災の被害や被災地の生活などが重なって見えてきて、時々、辛くなる場面もありました。

でも、この作品が、「無償の愛」と「希望」と「救い」に貫かれていたからなのか、観劇後は、人間の愛の力の尊さに、心が満たされて、何か勇気づけられた想いで帰路に就くことができました。

作品そのものの持つ力にぐいぐいと惹きつけられて、作品の中の歌と音楽に宿った魂に、大きなエネルギーをもらったように思えます。

こうしてみると、歌を聴きにコンサートに集まるお客様も、劇場に何度も足を運ぶお客様も、ストーリーや音そのものを求めているというよりは、それを演じる人や演奏する人から流れ出す、心を鼓舞するような強力な「エネルギー」を求めてその場にいるのではと思うのです。

きっと役者や歌手だけでなく、教師や、政治家や、料理人や接客業の方も、製造やデザインに携わる人、役所や病院や施設に働く人も、あらゆる職業人が求められ、必要とされるのは、そういう「エネルギー」なのではと改めて感じます。

「華」も「オーラ」も「気迫」も「志」も「夢」も、目には見えないものです。そしてそれらに宿っているエネルギーレベルが高ければ高いほど、人は五感を超えた感覚によってそれを互いに感知して、交換したり交流させたりしながら、心を動かして生きているのではと思わされたひとときでした。

常に心を動かし、心を磨いていくことが、内側からの輝きを増すことにつながるのかもしれません。

主人公ジャンバルジャンの魂を救った司祭のように、聴く人の心を穏やかに慰める・・

そんな音楽が奏でられたら・・・

あらたな願いを胸に帰路に就いた観劇(感激)の夜でした。

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