寂しさは埋められなくても、みじめさを取り除く力になりたい

皆さん、こんにちは!!

今朝考えたことがありました。忘れてしまったり気持ちが薄れてしまったりしないうちに書き留めて置いて、沢山の方にもお伝えしたいと思って、パソコンの前に座りました。

この地域での音楽活動を、どんな方向に向けて進めていくのか。それをいままで自分なりに考えながら歩いてきました。

その時々で、具体的な目に見える目標は、〜の大会で演奏したいとか、〜を歌えるようになりたいとか、〜人ぐらいのお客様に集まっていただけたら・・・など、小さなものがあり、それらはこれまですべて叶ってきました。大きな夢として掲げて歩いてきたのは、海外の日系の方々、特に高齢で日本の土を二度と踏むことの難しい方に、日本の歌を届けること、原爆の悲惨さを伝えて、子どもたちのために、争いのない平和な社会を実現するために力をつくしたいなど、今も願っている進行中の夢や目標があります。

小さな目標については、どこからどう手をつけたらよいか見当がついて、それで時間はかかっても達成できたのだと思います。大きな目標については、焦らず地道に取り組んで遠くを見つめて進むことができればと願っています。

しかし、そのようにして目指す方向をその都度定めて活動を続けてきたのですが、やはりこの震災で、心が折れてしまった時期がありました。目的を見失い、道に迷い、なぜ歌を歌うのか、これからどうしたいのかを自問自答しても何も答えが見いだせない状況に直面しました。

そして、日々、考えたり、考えなかったり、また思い出して深く考えたりを繰り返してきて、今朝、思い浮かんだことは、この音楽活動を通して、いつか世界中の、親を亡くした子どもたちが安心して教育を受けられるような社会の仕組みなり、財源の確保なりにつなげて、親がいないことやお金がないことが、子どもたちの学ぶ条件の格差につながらない環境作りにどんな形でも良いから貢献できればということです。

どのような状況にある子どもたちをも、社会全体が愛情をもって育てる仕組みと心が共有されれば、きっと子どもたちの心からみじめさを取り除くことができるのではと思うのです。

音楽によって収益を上げてそれを財源にした奨学金を給付するとか、また、音楽にって啓蒙活動をして、政界や経済界の人々への働きかけをするのでも良いかもしれません。考えさえすれば色々なやり方が見出せることでしょう。考えなければ何も生まれないし、現状維持のまま、なんとなく過ぎていってしまうのでしょう。

それにしても、なぜ私はこんな風に震災や交通事故や病気、自死などで親を亡くしたことから教育を受けられなくなっている子どもたちを救いたいのか・・・なぜそんなことを思うのか、・・・自分でも考えてみました。

それは、きっと私の両親が二人とも、幼いころに親を病気で亡くして苦労した人間だからなのかもしれません。

学校に行きたくても行けない。寒くても学校に履いていく靴がなくて、雪道をわらじで通ったとか,学費を払えなくて学校を辞めて働いたとか,そういう話を聞いて育ったからなのかもしれません。

だから、戦争や災害や事故、病気、その他あらゆる事情で親を亡くして、教育を受けられない子どもたちの状況に心が痛むのでしょう。

親がいない寂しさをだれかが埋めることはなかなかできないかもしれません。それでも親がいないためにみじめな想いをすることからは、親以外の人でも救えるのではと考えるのです。

具体的にどんなことがどんな風に展開するかわかりません。それでも、今、心の中に浮かんだ私の使命を大切に、これから、一つ一つの演奏活動を大切に、日々の生活を大切に、地域の皆さんや友人からの応援に感謝して、一人でも多くの子どもたちのいのちと平和を守りたいと強く願っています。

みなさん、この夢が実現するように、祈っていてください。
お願いします!!

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