「長い 長い この道
一人で 歩いて来た
遠い 遠い 空を
見上げて 歩いて来た
どんなにせつない朝が来ても
私は だいじょうぶ
いつも遠くから 見守ってくれる
あなたのまなざし 感じているから
花が ほら 咲いた」
これは、☆アルビレオ☆のオリジナル曲「見守っていてね」の1番の歌詞で、ボーカルれいこが、母をイメージして作った曲です。
母は今年77歳です。今も元気に宮城県名取市の自宅前の畑でホウレンソウやキャベツ、白菜などを作っています。収穫すると、段ボールにぎっしり詰めて、いつも私に送ってくれます。その、母の野菜便が今日も届き、愛情たっぷりで育った野菜達の新鮮さに心も和みました。
母は、本当に働き者です。若いころは、雨の日も風の日も雪の日も、朝は暗いうちから起きて、掃除と炊事と農作業。夜も、暗くなって手元が見えにくくなっても、それでも、働いていたほどです。
そんな母が「歩いて来た」その姿は、私の記憶の中では、いつも胸を張って、堂々としています。
辛いこと苦しいことが多い人生だったのに、なぜ子どもである私の目には「堂々として、胸を張って歩いている」ように感じられたのか、それが、最近になってようやく分かってきました。
それは、上を向いて歩いていたからだったのだと。
「上を向いて歩こう、涙がこぼれないように」という歌と同じように、母は悲しいことや辛いことがあったからこそ涙がこぼれないように上を向いて歩くことが習慣になっていたのかもしれませんね。
かつては背筋のピーンと伸びた、颯爽と歩いていた母でしたが、今は腰が曲がって、長く歩くことは難しくなっています。それでも、自分の歩幅でゆっくりゆっくり歩くようになってからは、幸せを感じることが多くなってきたようです。小さな草や虫や石ころ達にも話しかけながら、今日も畑仕事を楽しんでいるようです。
長い人生の中で、きっと人はその時々に様々な「歩き」をするのでしょうね。
私はこれまでどんな風に歩いて来たのか、そしてこれからどんな風に歩こうとしているのか、ゆっくりと考えながら、自分の「歩き」を豊かにしたい。そんなことを今日、思っています。
☆(*^_^*)☆あなたはどんな風に歩きますか?