☆(*^_^*)☆陸前高田便り〜体育館の悲劇をくりかえさないために〜

今朝の読売新聞岩手版に、陸前高田の悲劇の避難所といわれている市民体育館の記事が掲載されています。

体育館に避難した約100名の中で生存者が3名のみ。しかも濁流が天井まで40センチを残すところまで到達したという、体育館の中での出来事が、生存者の方の語り口そのままに報告されています。

ヴォーカルれいこは、8月30日に、あの体育館前に一人で訪問して、隣接する公民館の壁に書かれた「天国のお母さん、私たちを見守っていてね」の前で慰霊の歌を歌わせていただきました。

それからちょうど一か月後の9月30日、再びあの体育館と公民館を訪れました。

それは、体育館・公民館をはじめとする他の文化施設が遺構として保存されるのではなく、取り壊されるという決定がなされて、地域の方々による文化施設とのお別れ会が開かれたためでした。

「天国のお母さん、私たちを見守っていてね」というメッセ—ジが書かれた壁のみは切り出されて保存されていますが、遺族の方の中には、公民館だけでなく体育館や市役所なども、津波の教訓を忘れないためにも、犠牲になった1000人を越える人々を忘れないためにも、遺構として残して欲しいという声があったと聞きました。

新聞記事は
http://www.yomiuri.co.jp/e-japan/iwate/news/20121027-OYT8T01198.htm

で読むことができます。

写真を拡大すると、体育館の内部が少し見えます。大分整理されて、瓦礫の分別が行なわれているようですが、写真に写っている佐々木さんのお顔が光に照らされて明るく見えるのは、彼が立っている場所が、おそらく、完全に壁が崩壊した、体育館の北側だからかもしれません。

観覧席のある、大きな体育館が、大きな洗濯機のようになって、人々を濁流にのみ込んだこと。そういう被害が、岩手、宮城、福島の海岸で、起こったことを忘れてはいけないと思います。
石巻に伺った時には女川にも連れていってもらいました。女川は、町全体が、まさに、あの体育館と同じような状況だったのです。

一人の、東京に住む者として、何もできないけれど、こうして自分が見てきたこと、感じることを、皆さんに伝えることも、使命なのではと考えるこの頃です。

寒くなってきました。

被災地の皆さんの笑顔に繋がる活動をしたいと強く思います。

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